残忍な性格

ある日

ある日ある日気づきます「私の中にとんでもなく残忍な性格が存在する」と。とんでもなく卑劣で残酷な人間性が私の中には存在すると、、、そしてこのままでは絶対に私は幸せになれないと気づくのです。そこで聖人君子を少しでも目指そう、心の浄化を目指すのだと励むのです。ところが人格を磨くという志は時に上手くはいっても時に全く効果がないことが分かります。いつまで経っても「人格」が聖人のようにはならないからです。そこで途方に暮れるか諦めるのです。

ベクトルが違う

目覚めとは自身の中に残虐性、幼稚性を認め、、、聖人君子を目指すこととは全く違います。それらのキャラクターが実は自分とは全く関係ないことに気づくのです。どんな卑劣で極悪で性悪な存在であってもそのことと悟りとは全く何も関係がないことを気づきます。その極悪性に気づいたのは誰ですか???????自身が極悪で在ることに気づいたのは誰でしょうか???????その気づきこそがただ起こったのです。我々の本質とはこのスペースです、気づくスペースこそが本質です。

スペースにはコントロール権がない

我々はこのスペースであり、、、認識する存在です。「私は極悪非道である」という認識を起こすスペースが本質です。このスペースの上であらゆる現象が起こり、、この思考も、、起こります。このブログの認識の全てはこのスペースから起こります。それを「私が読んだ」という思考が立ち上がりそれも当然このスペースによって認識されるのです。その時この残忍な性格を無くさなくては、、清廉潔白にならなくては、、、という思いも消えます。