思考する個人すら居ない

実は

実はこの世界には思考する個人は存在しません。ここに存在するのは「思考の中の個人」か「個人という感覚」だけです。あらゆる思考の中に個人は存在しますが、個人が思考するのではありません。多くの方は完全に勘違いしています。個人が思考しているのではないのです、思考の中に個人が居るのです。そして個人ではなく「個人感」だけがこの世界に現れ出ています。

個人を前提にする思考の数々

注意深く注意深く観察しますと「個人」なんていう単体の存在がこの世界に現れ出ることは一切なく、、この体を個人とする考え方、、もしくは個人感しか現れ出ていません。孤独という状態が現れ出ることも一切なく、、孤独という思考、孤独感しか現れ出ていない。他人と呼ばれる存在から現れ出るのは「他人が発した言葉」ではなく「思考の中に他人が居る」のです。だから全ては概念、思考です。

この世界

この世界には本来分離というものは一切ありませんから『「何か独立した存在」が居る』というのは全部概念思考です。「ある動物が餌を食べる」というのも概念であり、、見かけ上の独立した動物を通じて食べるという行為がただ起こっているだけです。なぜそこに気づかなくてはならないのか??????微妙なその違いが何の効果があるのか????「認識こそが経験」だからです。認識がそのまま経験になります。

あるがまま

「あるがままをあるがままに経験する」が起こる時「本当の平和」が起こります。あるがままを「真実ではない思考」として経験すると「分離感」「孤独感」「苦悩感」を経験することにあります。どちらが「良い」という話ではなく、、そうなっているという話です。「出来事」自体には「苦しみ」を生み出す力は一切なく、、それを「個人として味わう」という「思考思い込み」が現れた時だけ「出来事の内容」に関わらず「分離感」「孤独感」が起こるのです。