神頼みが無駄に終わる理由

誰が神頼みするのか?

いざとなった時の神頼み、ピンチの時の神頼み、、では神頼みするのは誰か?それは人間扮する神です。人間になり切っている神が神に頼みごとをします。これは滑稽な行為です。なぜ神が神にお願いすることがあるのでしょうか?神が人間になり切っているからこそ欲求不満、不平不満があるのであってそこを解決しなければこの問題は解決しません。神が自身を人間であると信じているからこそ不平不満が湧くのであってこに不平不満を神に頼んで叶うのならば意味不明です。そしてもしもこれが叶ったところで不平不満は延々に続きます、神が人間であると勘違いしている限りは。

頼みも願いも見当違い

これは夢です、神が見る夢です。この夢の中で神が人間になり切って夢物語を送っています。この夢物語は神の不平不満が爆発します、神が人間という狭苦しい存在であると勘違いしているのでそれは当然です。その人間活動中の神が不平不満の解決を神に頼ること、これが神頼みです。意味不明です。神がわざわざ人間になって不平不満体験をしているのにその解決を神に頼るというこのジョーク。神社でこの事実を公言したら命はないでしょう。

パワースポットとは何か?

この夢の中ではパワースポットと呼ばれる場所が登場します。その場所に行けば幸運が訪れる、開運する、ラッキーが味方する、、、まー色々あります。そしてこの夢の中ではそれも起こるでしょう。夢の中ではあらゆることが起きます。ですがここでも厳しいことを言うならばそれによっていかに目的が叶っても夢が叶っても不足感が無くなることはありません。欠乏感が無くなることはないのです。なぜならば神が人間に扮してこの夢を生きている限り無限大の不足感が湧いてくるからです。そのことを理解するためのパワースポットならば大歓迎です。

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