情報空間
二人の人間が会話します、、、言葉の全てはこの体から発せられますが、、、言葉はその場でイメージ化され、、情報空間に存在します。その言葉の全ては情報空間で、、認識され気づかれ感情を生み成り立っていきます。この際に「私」「あなた」というイメージは必須条件です。この二つがないと会話が成り立ちません。ですから生きていく上でこの二つがなくなることもないし、、これが消えるようなこともないのです。
意織
大きな大きな勘違いが起こるのはこの「私」=意織とする思考です。社会で生きていく上でこの体を「私」と呼ぶのは当然でありそこはそれでいいのです。ところが「私」=この体=「意織」とした瞬間に緊張感が生まれます。「私」=体ですが「私」=「意織」は間違っています。意識とはこの全現象を生み出す存在であり、、もっと正確に伝えれば空(不変の自己)から(現象の全て)が起こるときに生み出される現象=「意織」です。よってこの体=私=意織では絶対にないのです。
私(意織)は怒っている???
私は怒っている、私は不機嫌だ、、、この体(私)の中に怒りの感情、不機嫌の感情が起こった、、、これは真実です。ですが意織としての「私」が怒った、、、は間違いです。意識の中にこの私が現れ、、意識の中に怒りが現れた、、、これが正解です。この時意識は全体そのものであり、、私は体であり、、怒りは意識の中で現れたという真実を表現しています。。そこには緊張感が生まれないのです。
意織と「私」は別
ここを理解します、ここを把握します。意織は常に現れますが、、これは体を示す「私」では全くないのです。意識がある、、だから私が居る、、ではないんです。。意識は常にあります、、ですが「私」用件がなければ出る必要がないのです。意識は常にあります、、その中に体が登場し、、それが「私」と呼ばれます、この社会では。この微妙な違い、、超重要です。