流れる映画
我々のこの体は意識の中から浮かび上がりそこに存在します。あらゆる体が物質という幻想でそこの立ち現れては消えていきます。この状態、ただ物質としての体が立ち現れ消えていく状態を意識が意識として認識する時「平和、愛、安らぎ」に満ちています。ところがこの体の中から思考が湧き「私」が登場した瞬間緊張感が生まれます。「私」を中心とした映画が上映されます、これが意織によって意識化、イメージ化されこの緊張感が拭えない状態で固定されます。
情報空間
この夢、映画は物質空間には存在しません、情報空間に存在します。その情報に意識が意織すると、、、流れます、認識されます、、緊張感が生まれます、苦しみが生まれます、、、これをやっているのです。なんのために???何の意味もないのです、、ただそういう流れになったんです、、、ただこの映画はこの体を守ろうとうとする動きが多いため、、、この体が安全に維持される可能性は高くなります。だからこの映画が終わることがありません。
止めたいんですが
え?????だったら私この映画止めたいんですけど!!!!!無理です、、、止める「私」が本当は居ないからです、「私」が居る前提でこの映画は進みますが、、「私」は居ないんです実際は。。だからこの映画の脚本にこの「私」が関わるって不可能です。じゃあどうすればいいのでしょうか????ただ単純にこの映画化の流れを理解します、、、、「私」も「私のストーリー」も映画であって実在ではない、、、この理解が起こったっ時に、、、、映画に意識が意織しなくなるという現象が起こる可能性があります。「あなた」が映画に集中できる時の条件ってそこんリアリティがあるからですよね?????無ければ集中できない、意織できない、、、ですよね!!!!つまりこの映画、私を中心とした映画が嘘であることを断定できると「意織」できなくなります。
終わった
今感じている、今起こっている苦しみ、緊張感、辛さって、、、実はこの映画に意織が意織していたことで起こっていただけなんです。起こる事件がこの「私」を巻き込み「私」にリアリティを与えたときに緊張感が生まれていたのです。だからその嘘を見抜くのです、、何が起きても緊張できない状態にまで持っていきます。すると安堵、平和、愛が訪れます。