親子の取引

私がこれだけやったんだから

私がこれだけ頑張って働いてこれだけ家事もやって、、、、だからお願いだから、、私の望みを叶えてちょうだい。。。。これが親が子供に行う取引です。これだけ私が犠牲になったんだからだから、、私の願いを叶えてもらってもいいでしょ。。。。です。子供はこの取引にまんまと乗せられます、、優しい子供ほどに、、、親のこの絶対の要望に応えようとするのです。

そして負の連鎖が続く

親の要望をこうやって叶えてきた子供はどこかで親のことを恨んでいます。子供は親の所有物ではなく、、一人の人間です。ですからこの恨みは奥深くにしっかりと根付き、、この恨みが肥大化していくのです。あなたは絶対にこうしたほうが幸福になるという価値観はあくまで個人の趣味でありその趣味を強要された子供は恨みを持ちます。そしてその子供が子供を産んだならば、、、今回のパターンをまたその子供に引き継がせるのです。

取引の先には絶望しかない

親がなぜ子供を自分の思い通りに進ませたいのか????それは子供を自分の所有物だと思っているからです。所有物は自分仕立ての自分の趣味に染めたいわけです。私の車は私らしい車を選びたいのです。私の子供は私らしい子供にしたいわけです。自分の子供を自分仕立てにしたいのはなぜか????それは自分という存在はこの世界でたった一つでしかなくとてつもない小さい存在だと勘違いしているのです。この自我だけを私と捉えているのです。だから寂しくて寂しくて仕方がないとなります。

違う

本当の私はこの私ではなく、、この私を生み出す根源です。この体もこの気づきも全部が全部根源から湧いています。そのことに気づけるようになりますと自分を過小評価しなくなり、、だからこそ所有物を増やしたいという欲求が減るのです。外部環境を求めて小さな小さな自分を使って所有物を増やしていこうという動きが減ります。本当の本当の私とはこの全部です、、小さな小さな私の欲求も子供の存在すらも私です。私の現れです。

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