観察力

メッセージ通り

観察力がついてきますと、、悟り系のメッセージが本当にそのままに感じるようになります。苦しみのメカニズムがその通りになっているのが分かるんです。この私のこと、周囲のこと、、、本当にその通りに人は苦しみ、苦しみから逃れ、ストーリーが展開されています。そこには本当に全体からの現象しか起きていないのです。朝起きて「個人」としての活動が始まった途端に緊張が走ります、この緊張が苦しくて人は、、快楽に溺れていきます。

「個人」としての活動

さあ「私」をやろう、、、ここから苦しみが湧きます、、、観察すれば分かるんです。ここで「私」を始めたらダメなんです、、私を観察します、「在る」として。私になるんじゃなくて、、私を観察するんです。「在る」として私をやるんじゃなく、、、、この体をただ観察します。一日中「在る」として観察者として「私」を眺めるのです。すると苦しみが湧きません。

思考

朝起こる思考は「私」に戻すための思考です、、昨日こんなこと言われた、あんなこと言われた、、、です。明日はこれをやんなきゃ、あれをやんなきゃです。「私」を必死になって思い出させ「私活動」に無事戻すような動きが起こるはずです。その思考の起こりを「在る」として観察するんです。思考も観察の対象でしかありません。自我システムを維持しようとする全体の動きを「在る」として観察するのです。

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