慈しみ

慈しみとは

慈しむという言葉は悟りを非常にうまく表現しています。慈愛の慈です。この世界が空の現れで今起こっている全現象は、、空から起こっています。この体もあの体も全部空から起こり、、空によって気づかれます。つまり全体は全く同じ場所から出現しているのです。そして気づきも全く同じ場所で起こることから、、、私の体とあの人の体には何の差もないのです。このことを本当に理解できますと「慈しみ」という感情が湧いてきます。対象への愛ではなく、、起こった現象に対して愛が起こるのです。

取引の愛ではない

私たちは、、どうしても見返りを期待しての愛を所有しがちです。この見返りを期待しての愛は間違いなく「この体」へのメリットを期待した愛です。ですが慈愛は、、、、存在そのものが現れてくれたことに対しての愛です。私がこんな形で表現してくれたんだ、、、という愛です。ですからこの体に対してどう反応するかはどうでもいいのです。

実は苦しい

見返りを期待しての愛がなぜ苦しいかと言えば、、、この世界にはコントロールできるのはこの体思考だけであり、、他は全部自分以外、、、この恐ろしく貧しい感覚こそが、、作り出すのです。発想が貧しすぎて、、苦しから、、、見返りを期待した愛を求めるのです。本当は何一つこの体には気づきがなく、自由意志もなく、、だから私など居ないのですが、、、大きな大きな勘違いが起こってしまったことで慈愛が消えたのです。全システムを理解しますと、、、全存在は全く完全なノーコントロールで出現し、、自我すらも勝手に湧き上がります。