いつか悟る???

いまここにあるのに???

我々は今完全な明晰、完全な静寂が背景にあって、、その中から起こる現象を見ています。我々の本質はこの明晰、背景そのものであり、、そこからこの現象は今起こります。つまり我々は今完全に悟った状態でこの景色を眺めているのです。この体の背景には今そしてこれからも過去も常にこの本質が秘めていました。その本質から起こるあらゆる現象を眺め続け、、時に悩み時に楽しみ、、を送ってきたのです。この体を主人公と勘違いし、この体が全部を気づいてきたと勘違いして、、、きたんです。ですが本当はこの体もただの現象だったんです、この体も気づかれる側だったんです。

気づかれる側

この体は気づかれる側だったんです、、この体は本質から気づかれ続けてきたんです。だからこの体が何かに気付くのは不可能です。気づかれる側が何かに気付くのは不可能なんです。この思考も感情もこの体が気づいたのではなく、、全て本質に気づかれてきたんです。だから最初から解放の中で全てが起こりこれからも起こります。解放自体が幻想なのは、、この構造は最初から最後まで何も変わらないということです。もうこの自分が居るという前提の思考が消えるだけです。

何も変わらない

勘違いの思考、勘違いの感覚も、、、完全に背景に認識されてきたわけですから、、何も変わらないのです。「この私」は今までも何もしてこなかったしこれからもしないんです。ただその勘違いが落ちることで勘違い前提の雑念が落ちました。これを悟りと呼ぶわけですが、、、あまりにもシンプル、簡単過ぎて、、逆に伝わりにくくなってしまうのが皮肉なものです。

霊格

霊格というのはこの体には霊格が宿り、、その霊格が徐々に進化をしていくというストーリーですが、、霊格とは一切関係なく、、今、、、本質が、、そのストーリーをここで生み出しています。今我々の背景でしっかりとその存在が存在しています。この存在と霊格の関係はどうなっているんでしょうか???その霊格を宿った自分を認識しているのがまさに背景としての本質です。