時間は存在しない、あるならば時計は必要ない

食事の回数を間違えない理由

食べるという経験、、これは確実にあります。食感、味覚、香り、、、、経験として間違いなくあるんですよね。だから昨日何回食事した????と聞かれて回数を間違えるってあまりないはずです。ところが時間って経験できないんです、、経験できていないから、、今何時????と何回もなるのです。もしも食事と同じで経験できていたら時計をみる必要はないんです。

食事を食べ終わった後に

食事を食べ終わった後に、、今私は食事を食べましたか????とは聞きませんよね。。。ですがその飲食店に時計があるのは、誰も時間を経験できていないから時間を確認する必要があるのです。時計が指し示すのは時間ではなく、、その現象そのものです。この夢の中で夢化した数字です。だから誰も時間を経験できず時計が存在します。食事を食べたかどうかを店員さんに確認しないのは経験だからです。

自我は時間軸でしか存在できない

映画を途中から見ても意味不明ですよね、、映画を楽しむためには過去に遡って歴史を見る必要があります。この「私」をやるために過去が絶対に必要になります。過去がなかったら「私」が居なくなっちゃうからです。ですが同時に映画は途中から見ても、、主人公になり切らなかったら、、映像を見ることはできます、可能です。面白い、辛い、などの感情は湧きにくいでしょうが可能です。そしてこの現実と呼ばれる世界も、「私」が実は過去に遡らないと存続できない存在であると認識しながら生きることができるんです。

私とは時間が作り出した概念

私とは、映画の主人公と同じでエピソードが作り出した概念です。勿論この体は過去がなくても存在しますが「私」が居なくなっちゃいます。このことを本当の意味で俯瞰できた時に「私」映画の主人公にしがみつくという発想が生まれないのです。私という概念が時間という概念を作り出し私がこの人生を歩むというストーリーが作られます。

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