欲望とは分離感覚で起きる

楽しみは「在る」から起きる

子供時代、何かをして遊ぶ時に欲望を発散しているという感覚はありませんでした。ただ面白いから遊ぶ、、それだけです。ところが大人になってくると、、、「欲望の発散」動機の大元になります。ただ集まって食事しよう!では人は集まらず、、、出会いを求めて、、仕事を求めて、、人脈を求めて、、と何か欲を満たす要因がないと集まらないのです。子供時代の楽しいから、、、じゃない、、もっと重い感情に支配されているのです。

大人になるにつれて

大人になるにつれて、、、体の中に自我が形成され、、そのれによって分離意識が形成されます。これはそのまま孤独、分離感を生み出し、、苦しいがわき起こるのです。「苦しい「」がデフォルトになるのですから、、楽しいからおいでよ!!!では集まらないわけです、、苦しいを取らないと楽しくないことは分かっていますから。ということで何のために???という欲望を満たす要因でなければ楽しくないのです。

欲望を満たせば

結局のところ欲望を満たすのは「分離感」の一時の解消なのです。自分は分離しているという錯覚を、、、何かを手に入れることで一時的に解消しているのです。ですからこれは楽しいではなく「一瞬の楽」になることです。楽しむとは、その行為自体が面白いということであり、これには目的がないのです。

子供はなぜ欲望ではないのか???

子供はなぜ欲望ではなく純粋楽しいをできるのか???それは分離感覚がまだ薄いからです。この体の中に自分という存在が育っていないからです。だから行為そのものを楽しめるのです。では大人はどうしたらいいのか???育て上げた自我、自己意識を再び解体するのです。自我自己意識を俯瞰してそこにエネルギーを注がない、、自我、自己を観察し、、現象の一部に戻するのです。すると観察する存在、、大いなる存在、気づきの意識に戻ります。まだ自我が形成されていなかった子供のようにただ楽しい、、が起き始めます。

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