大人が子供を可愛がるように

何も知らないは可愛い

子供の質問って可愛いんです、知らないことをそのまま直球で投げてくるわけですが全く予想だにしない質問は可愛らしくあります。そしてそれは真実に触れた際に、、全くそれに気付いていない人々に会った際にも全く同じような感覚を覚えます。なぜ苦しいのか???全くの見当違いを見かけ上している人々(ほぼ全員)に会うのは面白いし可愛らしいのです

一生懸命会社の愚痴を言う人

会社の愚痴が始まると止まらない、、二時間三時間全職員の批評が始まるのです。本人はなぜ止まらないかが分からない。実は「この体の中に自分が居る」という感覚こそが作り出した「本当は誰???」に基づく不快感、憤りが、、会社の愚痴になって表面化しているのです。だらかどんなにこれを話しても、、放れないのです、、違和感が。「私」が話せば話すほどに、、「本当は誰??」が強化されていくのです。なぜ苦しいのか全く分からず見当違いの行動をし続けるって可愛いんです。

悟りの話

悟りの話を外でしてもほぼ99%興味すら持たれないでしょう、、なぜか?????「私」として何十年間も生きてきたのに、、「私」が居ないって話、、、勘弁してほしいのです。今更もう遅いでしょ!!って話です。今だってこの私には母親としての顔、仕事人としての顔、ママ友の中の一人の顔、サッカースクールの役員、、、何個役をやってんだ、、って話です。実は私は居ないって、、、、遅すぎるんです、、タイミングが。

違うんです

遅過ぎるからいいんです、、もう一人の体で何重層もの役をやっているからこそ、、、この重さを手放したいんじゃないですか?????そうです、、手放すには、、重さが必要なんですよ。。。。。アイデンティティのパラダイムシフトは、、一気にドカンがいいんです。そのためには「自分」に疲れている時が最高なんです。この体の中に自分が居るって感覚に疲れ果てた時に、、ドカンがきやすい。

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