同情は便宜上やればいい

本当のところは分からない

生きていると同情したくなるような状況ってあります、友人が大病にかかる、友人が大金を失う、友人が離婚する、、そんな時悟り、ノンデュアリティの観点からするとどういう対応が正解なのか????友人の大病、大金を失う、、これらは現象としては間違いなくそれが起きたんです、それは事実です。ですがその友人がそれによって苦しいという感情を本当に発現しているかは分からないのです。そう見えるという事実しかないのです。だからといって何も同情をしないというのも無理がある。ということで表面的に失礼がない範囲で同情を形にします。

お葬式に行って

お葬式に行けば親族が悲しんでいます。ノンデュアリティ の立場から本当の悲しみの感情がその方々から発現しているかは分からない、、というよりも発言していない。ですが便宜上同情を表面に出します。その現場で笑顔で交わすというとは無理あがる、というよりも表面上波風を立てるのです、だったらば演技として悲しいふりをするのは全く問題がありません。

重要なこと

重要なこと、それは演技をすべきかすべきじゃないかではないんです。重要なことは、、本当は親族が悲しんでいるという重い事実がないということです。世界は何も重くないのです、重く見えているだけで何も重いことが起きていない。表層上は何だって起きるんです、戦争、テロ、災害、、、、ですが悲しんでいる苦しんでいるという発現が実は起きていなくそう見えているということ。。。この事実は圧倒的に軽いんです。

そうです、自分たちは実はめちゃくちゃ軽く生きていいんです

両親が体調悪くて、、親の面倒でこれから10年間は、、、気持ちは本当に分かるんです、、そう見えます、、そして「苦しんでいるように」見えるんです。ですが真実ベースでお伝えすればそう見えているだけです、、それが事実です。無責任と思うかもしれません、ですが真実では何も起きていないんです、全てはそう見えてみるだけです。それを分かった上で上手くやるんです、大人として。

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