女性軽視はなぜ起きるのか?

芸能スキャンダルから考察する

なぜ女性経緯問題は芸能界などから消えないのでしょうか???先ず大前提として、、自身を豊かな存在だと認識できている場合、、人から何かを奪おうという発想は起こりません。海が海の状態にある時、、何かに渇望するということはあり得ないのです。海が海の状態にある時感情というものは基本起きません、そこにあるのは苦しみのない安らぎ、苦しみのない安堵、苦しみのない平安です。これらは感情とはいえず喜怒哀楽には含まれません。この状態にある時に人から何かを奪うという発想は起きにくいのです。

海が波となる

この波を自分であるという認識が生まれた瞬間から苦しみ、分離感、不足感が同時に生まれます。波としてこの負の感情を消し去ろうとする場合「刺激としての喜び、刺激としての楽しさ、刺激としての充実感」を得ることでこれを相殺しようとします。そして結果一時的にそれに成功します。ところが再び我に帰り自身は波であるという感覚が蘇りますと、、再び不足感違和感分離感が起こるのです。そこでまた個人として刺激としての〇〇を求めるわけです。

感情じゃない

何か楽しいことしたい、嬉しいことしたい、、、は全部個人として感情を得ようとする動きです。ですがこれらは全て一過性のものであり、、個人としての分離感を消し去ることができないものです。一方私は波ではない、、波としての感覚を期した時には、、、、感情ではなく、、本質の安らぎ、本質の静けさが漂います。これを味わう、感じる個人は居ません。いかに多くの時間をこの状態で居れるか、、この二つは全くベクトルが異なるものです。

本当は違う

一時的な喜びを得ることが本質からは全くズレていることは、、実は分かっています。ですから女性軽視などをしてそれを行う者は焦っています、、これが付け焼き刃であることをどこかで知っているからです。ですがあまりの苦しさにこれを抑えることが出来ないのです。特に芸能界のように波を自分自身であると自他共に感じやすい仕事の場合は尚更です。苦しさは周囲の予想を遥かに超えるものでしょう。

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