幸福とは苦である

夢の達成、欲しい物の獲得、全部苦である

このドラマで味わう幸福は全部苦です。?????幸福が苦????そんなだとしたらいったいこの人生は何をすればいいのか???という話です。ですが釈迦は幸福は苦であると断言しているのです。つまりはこういうことです「この体この思考が自分」と思っている人が幸福を手に入れればさらなる幸福を手に入れようとします。これは気持ちが良いドラッグを手に入れた人間がさらなるドラッグを手に入れることと同じなのです。

手に入れれるものではなく、、、

手に入れる幸福、獲得する幸福は、、、手から離れる幸福、手放す幸福である可能性を持ち実際にそうなります。「この体この思考である自分」が手に入れる幸福はいずれは手放す幸福なのです。本当に大切なのは手に入れなくても得れる幸福であり、、それはこの私が集めるものではないのです。この私が実は錯覚で本当はこの全て、全現象、全経験であるという気づきが起こす平安こそが重要なのです。

私の幸福を目指すのを辞める

「この体この思考である私」が幸福を目指しますと、、、形を獲得しようとします。物質、地位、名声、人、この私が何かを獲得成し遂げることで幸福になろうとするわけです。ですが初期設定のこの「私」こそが苦しみを生み出す張本人なのです。「この体この思考こそが私」という思考がまさに苦しみを生み出します。これが真実ではないのでこれを信じることで違和感、憤りが生まれこれを解消するために人は幸福を目指すのです。ところがこの個人が獲得する幸福がシステム上苦しみを消し去ることはありえないので不幸なのです。

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