この体をこの思考を自分だと思っているうちは、、

何をやっても満たされない

釈迦が国王という地位を捨てて山に篭ったのは、、その地位であっても満足に至れなかったからです。マイケルジョーダンが途中バスケットを引退したのは、、三回優勝しても本当の満足には至れなかったからです。北野武が映画を撮り始めたのはバラエティでトップを取っても満足できない何かがあったからです。この体をこの思考を自分と思っているうちは、、本当の満足は得られないのです。なぜならばその思考こそが分離感、虚無感を作り出しているのです。これは完全にトリックです。

この体と思考を自分ではないと思っている奴などいるのか?????

私は今まで生きてきて、、、「この体と思考が自分である」という認識ではない人間に直接会ったことはありません。つまり人類の99.999999%の人は、、「この体とこの思考が私だ」を認識しているはずです。ですが残念ながらそのような思考では釈迦、マイケルジョーダン、北野武のようにトップの立場を捨ててでも他を探したくなるのです。なぜか????「この体この思考が私だ」という思考自体が孤独感、分離感、虚無感を作り出す直接原因だからです。

この体、この思考が自分じゃないなら

この体、この思考が自分じゃないとしたら一体何が自分なんだ????簡単です、全部です、、、今起きている現象の全てに気づいている存在であり現象そのものです。この体、この思考にも気づいていますからこれももちろん自分です、、ですがそれだけではないのです。。その体が持っているコーヒーカップ、そしてその体が身につけている洋服、その体が腰掛けている椅子、、、、、全部です。今目の前に映る映像の全てが私なのです。だからこそ「この体、この思考だけが自分」という思考が湧き上がりそれが読み込まれると、、同時に虚しい、孤独が湧くのです。思考と感情はセットです。

思考が湧き上がりそれが読み込まれる

「この体と思考が自分」という思考が湧き上がった時に、、それを読み込むのは誰でしょうか?????全体です、本当の自分です、、本当の自分がこれを読み込みます、、すると、、、同時に虚しいという感情が湧きます、、それをまた全体、本当の自分が気づくのです。すると、、「この体とこの思考が自分」が〇〇して解消しよう!!!!が湧きます、、それを全体、本当の自分が読み込みます。するとまた虚しい、孤独感が湧くのです。こうやって無限ループに入っていきます。

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