今全体でなければ孤独を感じることはできない

孤独とは非孤独が感じるものだから

1億円を所有したことがない人間が1千万円を少ないと感じることはできません。暖かいを感じたことがない人間が寒いを感じることはできません。寂しいを感じることができる人間とは寂しくないを感じたことがある人間だけです。我々が孤独、不足感、違和感を今感じることができるのは今非孤独、満足、非違の状態だからです。主語が非孤独、非不足、非違和感だからこそ今、、孤独、不足、違和感を感じることができるのです。なぜ今かと言えば、、今しかないからです。時間とは思考が作り出したファンタジーです。

孤独を感じることができるという事実が自身が非孤独、つまり全体である証拠

全体の中に「この体の中に私が居る」という思考が湧くことで全体が今孤独を感じることができるのです。全体の中に「この体の中に私が居る」という思考が湧くことで全体(豊か)が今貧しいを感じることができるのです。全体の中に「この体の中に私が居る」という思考が湧くことで全体が今違和感を感じることができるのです。

ネガティブな感情は全体でなければ生まれない

虚しさは実でしか生むことができない感情です。主語が実だから虚しいを生むことができるのです。この私が虚しいを感じることは不可能なのです。なぜならばこの私は思考であって実ではないからです。実とは存在のことであり存在だけが虚しいを感じることができます。つまり毎日感じる虚しい、寂しい、苦しいという感情は全存在だからこそ感じることができるのです。全存在の中に「この体の中に私が居る」という思考を湧き起こすことで虚しい、寂しい、苦しいを今感じているのです。

究極の孤独を作り出すことができるのは究極の存在だけ

非孤独とはなんでしょうか????一人では非です、、非一人です、、、、つまり二人のことでしょうか???いや二人で居ても孤独感て生まれますよね???何十人と一緒にいても孤独感って感じるものです。非孤独とは全体のことです。我々は全体だからこそ究極の孤独を感じることができるのです。今全体だから今孤独を感じることができます。過去に全体だったから今孤独を感じているのではありません。過去という存在は思考でしかありません。

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