目の前のコーヒーを飲む

真実の話をしよう

目の前のコーヒーを飲みます、、、、真実の説明と概念の説明を分けて考えてみましょう。目の前に景色が見えます、、これは真実です、、今目の前の光景、これは真実です。ですがその光景の中にコーヒーカップ、テーブル、おしぼりという独立した存在は実在しません、これは概念です。次にコーヒーカップを口に含みコーヒーを味わいます、、味がする、、、これは真実です。。。味がする、、という言葉は概念ですが、、、ある経験が起こることは間違いなく真実です。口の中を液体が通ります、、、口の中を液体が通るというのは概念ですが経験が起こったのは真実です。

コーヒーの香りがする

コーヒーの香りがするという表現は概念ですが、、ある経験が起きたのは間違いなく真実です。お腹が膨れる、、、お腹が膨れるという表現は概念ですが、、、ある経験が起きたのは真実です、、この経験に基づき、、お腹が膨れた、、、という思考が湧いてきました、、これは真実です。コーヒーを飲み終えることでカップが空になりました、、、この表現は概念ですが、、この景色は真実です、、、その真実に基づき、、コーヒーカップが空いたなーという思考が湧くかもしれません、、それは真実です。

気分が良くなる

コーヒーを飲み終えることで気分が良くなるとしましょう、、この言葉は確実に概念ですが、、、何か経験が起きたのは真実です。ある経験が起きた後に、、、コーヒーって気分が良くなるなーという思考が湧いたとしましょう、、、これは真実です。このように真実と概念は全く異なります。真実には言葉がないのです、、、ですが経験として確実にあります、、、、言葉はどこでも概念です、、、言葉が連なるような事実は全く起きていないのです、、言葉はどこまでいっても真実を指し示す方向指示器の域を出ないのです。

(Visited 1 times, 1 visits today)