自分が音に気づくはない

幻想が幻想に気づくことはない

この見える世界は全て幻想です、、そしてこの私も、、目の前のコーヒーカップも確実に幻想です、、すると、、、この私という幻想が、、、コーヒーカップという幻想に気づくということは不可能です、、なぜならば両方とも実在しないからです、、、実在する存在が、、カップという幻想に気づくことはあっても幻想が幻想に気づくということはあり得ないのです。

カップに気づいたのは実在

カップに気づいたのはこの体の中の私ではなく、、実在です、、、幻想に気付けるのはそれしかありません、、つまり我々の本質はこの絶対的実在であり、、、だから毎瞬毎瞬気づきが起き続けるのです、、この幻想の世界で。そしてその気づいた存在を、、、この体の中の「自分」であるという勘違いが生まれ、、この自分ストーリーが誕生します。ですが残念ながらこの自分は何もかも気づくことができない幻想です。気づいているのは絶対的存在のみです。

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