個人はただのラベル

全ては全自動で起きている

我々はあまりにも長い期間、、個人が「何かをする」「何かを思う」「何かを信じる」という原理で物事が動いていると信じ込んでしまったのでこの観念が崩れません、、、これが現実であると完全に信じています。するとその観念が反映した世界が人がありますから、、益々その観念が映し出す世界が本物だ!!という経験をしていくことになります。。本当はこれは観念で、、真実、現実とは異なりますから、、この観念の中に閉じ込められている限りは苦しみが続きます、、、なぜならばこれは事実ではないからです。

言葉では分かる

言葉では分かるんですが、、、、、そうなんです、言葉では分かっても、、、、あまりにも長い期間、、個人を中心に物事を構築するのに慣れてしまったので、、、観念を書き換えることができません、、というよりも観念を捨てることができない。これは至極当然のことで、、この個人を守るために言動が構築されてきたのですから、、、簡単に理解できてしまったら危ないのです。

信じる者は救われない

個人が居るという観念を信じる者は救われません、、真実の世界の中で嘘の信念で生きていけば苦しいに決まっています。真実の世界の中で偽りの観念に沿った物語を構築しても、、苦しいが湧くだけです。ただこれを終わらせるだけ、、、ただこの間違いに気づくだけ、、、悟りとは非常に簡単なことです、、ですがシンプルだからこそ、、シンプル過ぎるからこそ、、、拒絶も大きいのかもしれません。