所詮は自我の右往左往

恋人と別れ困っている、、

友人から相談を受けます、、、「パートナーと別れちゃって、、困っている、、」仲の良い友人であれば、、、何かしてあげなきゃ、、、、という思考感情が生まれてくる、、、、重要なことは、、先ず友人の困っているという思考、感情を感じているのは、、、神だということ、、、、ですから先ず何も問題がない、、、神が困っているを感じているのです、、、、友人ではないのです、、友人の体の中に居る「私」はイメージです、、、イメージは「困った」を感じることができないのです。

本当に辛そうな表情をするが、、、

本当に辛そうな表情をしますが、、、その表情の中に居るのは「私」というイメージであって、、イメージはどこまでいっても辛いを感じることができないのです、、、感じているのは神です、、、、神を心配する????あるわけがない、、、、、、神は全部の感情を機械的に感じているだけであって、、、神を心配するのは世界一の杞憂でしょう。

「私」というイメージを作り、、「その私が困った」というイメージを作り、、「悲しい」をこしらえた

神の完全なる自作自演です、、、神の完全なる自作自演が今目の前で起きたのです、、、さあ、、、その上でどうするか決めればいいのです、、、、、ただしどうする「自分」もイメージでしかないので、、、この「自分」の言動も勝手に神から起こります、、、矛盾だらけの文章になってしまいます、、、、、、全部が全部神の自作自演、、、その気づきが全深刻さを消し去ります。

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