自我すらない、、

ただこれだけがある、、、

ただこれだけがある世界に、、、思考が湧き出てこれに取り込まれます。これのよって初めて自分という存在が生まれます。それまでは自分などどこにいません、ですが思考が湧き出すことで自分も一緒に生まれるのです、これが自我のメカニズムです。そこから思考に取り込まれて続けているうちに自分はより確固たるものになっていきます、幻想上。目の前に友人がいます、本当はただこれだけがあります。そのただこれだけを見て思考が友人であると認識します、そこからその友人が生まれます、それだけです。全部この場所でただこれだけが思考によって切り刻まれ分離錯覚させているだけです。非二元は非二元でしか存在できません、これをその場で切り刻み分離錯覚世界にしているだけです。

そうしたら非二元に戻れるか

究極のギャグです、今も非二元の世界が先ずそこにあり、そこに思考の認識が始まり世界が切り刻まれているだけです。瞬間に人間の思考が解釈を加えます。そしてそこから思考が湧き上がりその思考にしがみつきます。自作自演のメカニズムです。この思考の自作自演に取り込まれている間は苦しみの世界が続きます。非二元は平和、歓喜、安堵ですが、、そこから分離の世界、幻想の世界に入り込むことで非二元が薄くなっていきます、神が薄くなっていきます、ワンネスが薄くなっていきます。ただそれだけです。

思考の自作自演を見抜く

ですが我々は思考を暗記してしまったので、解釈なしの世の中に戻するのはできません。何もない世界に戻すことはできません。だから先ずは五感の感覚にだけ戻していきます、五感は今にしか感じることができません。先ずは今にある習慣を掴んでいきます、そこから思考に流れていきません。今にあることを習慣化していきます。完全に分離して見えてはいますがその世界の中で今にある習慣化をしていきます。

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