真我の勘違いを前提にした自動反応=自我

自我という言葉の功罪

自我という言葉をハッキリと理解する、、これはもう悟りの全てです、、、ここが理解できてしまえば、、もう人生は苦しむことができません、、、ですがこの自我、覚者によって説明が曖昧ゆえに、、、混乱を究めます、、、、、そして自我に対応する言葉、、真我、無我があることで益々混乱が起こるわけです。。ここを整理したいと思います。。。

自我は実在はしない

自我という、、、物質はまず完璧に実在しません、、、この体の中に自我があって、、、自我は物質ではない、、、この体の中に「私」という存在が在ってこの私が言動の全てを行っているという勘違いが起き、、その勘違いを元にした全ての反応を自我と呼びます、、、要は人間の発言、行動はほぼ自我そのものです、、これを自我がやっている、、、という表現が出ることで、、、自我という、、実態がないものがまたここで生まれます。。ここが悟りを非常に難しくします。

つまり人間の動きは自我そのもの

あの人の自我が、、、というよりも、、勘違いを前提にしたその動きが自我です、、、悪口を言ったら、、、相手が怒り出した、、、、この動きが自我です、、、全ては真我、根源から言動が自動的に起こっている、、この理解が起きていない、、真我から起こる動き、、これが自我です、、、逆に言えば周囲の見かけ上の人間全ての動きが自我です、、、、自我が居て、、、この表現が混乱を招く気がします。

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