そこに整合性があればそれで終わり
なぜこの体の中に自分が居るという大勘違いが起きるかと言えば、、、、この体が経験する全てを、、、感じる存在が居るからにほかありません。焼き鳥の味を感じ、お酒の味を感じ、音楽を感じ、照明を感じる、、、この感じる全てがあるからこそ、、、この体の中にこれを感じる存在が居るという大勘違いが起きるのです、、ですがその存在は体の中に居るのではなく、、、この見える世界全体がそれを感じていたのです。
感じるは神しかできない
感じることができる存在は神、気づきの意識、全体だけです、、、つまり酔っぱらったと感じているのは神であり、悲しいと感じているのは神、、全部神です、、その神がこの体の中に存在するというのは思考です、、、この神は神ゆえに、、、この体の中ではなく、、、全体に存在しているのです、、、神とは全部だからです。全部で在る神がこの体の中に居るという大誤解こそが苦しみを生み出しているのです。皮肉なことにその悲しみを感じているもの全体で在る神です。
雨の音を聞く
雨の音に気づく、、気づくことが出来るのは神しかいませんから神が雨の音に気づきました、、、神はこの音を音そのものとして今気づきます、、、この気づきを、、、体の中の私が聞いたという思考が湧きます、、この思考に神が気づきます、、、雨の音を起こしたのは神であり、、そこに気づくのも神です、、神が音を起こし、神がそれに気づく、、、そこにこの体の中の私は全くもって非関与です、、、この体の中に私は全現象に対し非関与ですから次第にこの私は消滅します。