名前を呼び合う

子供の中で喧嘩が始まる

最初はただ、、名前を呼び合っていただけの子供達が、、、徐々に個人としての記憶が多くなっていくことで個人としての意識が強化されてきて、、、子供達がおもちゃの取り合いをしたり、ある子供をいじめたり、、頭を叩いて威圧してみたりするようになっていきます。。。個人であるという感覚は不快ですから、、この不快感は毎日のように大きくなっていくわけです。この意味不明な不快感を解消しようと、、子供達は喧嘩や争いを始めるのです。

校則やルールが生まれる

日に日に増えていく不快感からくる衝動をコントロールするために校則が生まれ、ルールが厳密になっていきます、、ですが個人としての記憶が増大するに従い、、、不快感は日増しに増えていきますからもうこれは大変なことになっていくのです。ただ生きているだけ、ただ個人として生きているだけで経験が増えそれらが記憶されていきます、、個人としての積極的活動が多ければ多いほどに、、その個人の記憶が増えますから、、個人が強固になっていき苦しいとなります。

就職する頃には、、

就職する頃には、、個人は完全に強化され、、毎日がしんどいが当たり前の状態に、、日々こんなもんだよなと諦めて生きていくようになるのです、、、ですがそれでも個人の経験は増え続けていきますから、、その記憶が自我を盤石に支え続けるのです。。。そして徐々に生への執着自体が減ってくる、、人生なんて、、つまらないのが当たり前、、、いつ死んでもそれほど後悔はない、、ぐらいのノリです。

死ぬ覚悟があるならば

死ぬ覚悟があるならば、、生への執着がないのならば、、、だったら悟りを開いちゃえばいい、、、これが夢だと気づいちゃえばいい、、、この自己を精神的な意味で解消しちゃえばいい、紛糾しちゃえばいい、撃破しちゃえばいいのです。この自己は作り物、便宜上作品ですから、、、本当は存在しないのです、、ですからそれを見抜いてしまう、、、ただそれだけです。

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