夢だと気づき夢を生きる

夢だと気づいたとて

これは夢です、、その気づきが突然起きます、、ですがこれが夢だと気づいても、、世界が変わるわけではない、、このコップ、このマンション、この体、この友人、、、全部が残ります、、夢の中で。そしてこの夢の中の生活が続きます、、ですが今までと違うことがはっきりとある、、それはこの体の中に自分は居ないということ、、全経験を所有する自分という存在は夢を見る存在であって、、この体ではない。。という確固たる気づきがあります。

気づいているのは全部夢を見る自分

この夢を見ている存在、それが自分です、真我、神と言ったりします、、、この自分がこの体の全経験を所有します、、鳥の声も夢を見る自分が聞いています、、「聞く」という言葉で表された体験ではなく、、音そのものを感じます、、ただそれだけ、、、夢の中のこの体が全部を経験しているという勘違いがある時と、、、夢を見る存在がそのまま感じている時は感覚に違いが生まれます、、思考の邪魔が入りません、、感情の邪魔が入りません、、衝動の邪魔が入らないのです。

当事者意識が無くなる

これが夢であるという圧倒的気づきがおきますと、、この体に当事者意識がなくなります、、この体をなんとしても幸福にしなくてはという義務感がなくなる、、、この体は存在し続けるツールに成り下がる、、ですがこれは体を雑に扱うことではない、、むしろこの体を使ってこの夢の中の世界にいかに貢献するかが湧き上がる、貢献のためのゲームになる、、だって世の中の反応は面白いから。

夢だと気づき、この体を使い始めると

夢だと気づいた後にこの体を使い始めると、、、重さがないために自由奔放に使える、、だから目立つ、、すると夢の中他の登場人物は、、動揺する、、この動揺による反応に気を付けなくてはならない、、、動揺とは生命の危機と同じ感覚、、、怒り、攻撃の対象になる可能性がある、、自由奔放は楽しいが周囲の反応には慎重に行動を取らなくてはならない、、という感じです。

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