我が人生に悔いなし

我が人生は本当は無い

我が人生に悔いなし、、、自分劇場、人間ゲームとしては最高の言葉です。ですがこの我が人生、、実はありません。マリオの人生も、この体の人生も実は存在しない、なぜならばマリオにも、この体にも自由意志は存在しないからです。自由意志は存在します、ですがマリオ、この体の中はその自由意志を所有しません。所有するのはマリオであればプレイヤーであり、この体であれば神、全体、気づきの意識です。いやそんなことはない、、今も自由意思がこの体の中で起こっている、、、それは違います。その自由意志は全体、神、気づきの意識から起こっていてそれをこの体の中で起こったという思考が同時に湧いているのです。マリオの中でどんなに自由意志が湧いていると認識が起きても自由意志を発動しているのはプレイヤーです。

自由意志が発動していると錯覚し続ける各身体

自由意志は確実にあります、そしてその自由意志は全体から湧き続けています。そしてそれをこの体の中で起こってるという思考も湧き続けます。これがこの体のカラクリです。この体はこうして自由意志を所有し続けるという認識を維持し続けます。最終的には「我が人生に悔いなし、、、」という名言が生まれる始末です。マリオの人生が錯覚のように我が人生も錯覚です、、、マリオには実は時間が存在しません、そしてこの体にも時間は存在しないのです。だから人生はありようがないのです。

我が人生にはだいたい悔いがある

我が人生は本当は無いのですが、、、、もしも我が人生があると信じると、、この人生は悔いだらけです。この体の中に自分というものが在ると信じますと、、、突然居心地の悪さが湧いてきます、それは全体がこの体の中に存在するという誤認識こそです。全体は全体です、その全体がこの体であると誤認識をするわけですから苦しいのです。プレイヤーがマリオに成り切ると途端に苦しくなるのと同じです、マリオは戦うしかできないのでその時点で苦しいのです。ということで全体がこの体が自分であると勘違いをすると途端に苦しくなり人生には悔いがたくさん残るようになります。

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