人間としての心の痛み

あらゆる感情が思考で封印されている

動揺すると口数が多くなりますね、、これは湧いてくる感情を一生懸命隠蔽しようとする動きです。一日中思考の渦に飲み込まれている人はつまり湧いてくる感情を見ないように隠蔽しているわけです。思考が次から次へと湧いてくれば感情に意識を向けなくて済むわけです。これは感情を無視する行為ですから結果的にはこの感情に飲み込まれていきます、、感情もしっかりと全体、気づきの意識から湧いてきますから、、、湧いてきたなとしっかりと見つめればいいのです。、無視ではなく受け入れるということです。

無視された感情は見かけ上の体に蓄積される

無視された感情は見かけ上の体に蓄積されていきます、、体が固く硬直していきます、、、体に意識を向けていきますと、、これらの蓄積された感情を感じることができるようになるのです。思考の隠蔽が自然と終わり感情そのものとしとして感じることができます、、ただしこの感情はただ全体、気づきの意識から湧いていますから神聖なものです、、神聖なものとして感じます、、、これを続けていきますとこの感情が湧く場所、全体、気づきの意識そのものになっていきます。

思考も神聖、感情も神聖

思考も感情も全体、気づきの意識、神から湧いてくる神聖なものです、、、無視するのではなく、、そう感じます。。。自分が作り出したような粗悪な物ではなく神聖なものなのです。。。出てくる思考、感情を神聖なものとしてただ受け止めるのです、、受け止めるのは勿論、気づきの意識、全体としてです。

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