全存在である認識が感じていない世界はない

今お茶を飲んでいる時に全認識がそれを認識する

あなたがお茶を飲む時にお茶を飲んでいるのは見かけ場人間ですがそれを認識しているのは気づきの意識、全存在、全認識です。お茶が口に入り、喉をつたって食道を通っていく途中までを意識しているのはあなたではなく気づきの存在です。いや違う、全て人間である私が認識しているというならば血液の流れも、胃の動きも、腸の動きを認識していないことは説明がつきません。人間である私を使って全認識が認識する、これがこの全存在ゲームです。

目の前にいる友人の口に入る食べ物の食感は認識できていない

では目の前で食事をしている友人の食感、歯応え、美味しさを認識しているのは誰か?それは誰でもないです。その事実はないのです。誰も認識していません。友人は美味しいと曰うかもしれませんがその事実を認識できません。あなたの食感、歯応え、美味しさを認識しているのはこのゲームを創造した全認識ですがその全存在が友人の食感、歯応え、美味しさを認識できていないわけですからその事実はないのです。ゲーム上そう見えているだけです。友人が居るというのは認識していますからその認識は事実です。ですが友人が食事を食べている歯応えは認識できないのでそれはそう見えているだけです。事実ではありません。全認識が認識していないことは存在しないのです。全存在が認識していない事実があるとしたら全存在は全存在ではなくなってしまいます。

あなたが雨を感じ、風を感じ、香りを感じているならばそれだけが事実、それ以外は何も起こっていません

全存在が認識する全てが全てです。あなたが今コーヒーを飲んでいてコーヒーの味を感じているならばその事実だけが世界中で起こっているたった一つのことです。これ以外の事実は世界中で起こっていません。例え起こっていると言ってもそれは情報であり事実ではないのです。あなたの認識は全存在の認識です。それ以外の認識が起きていないならばそれが全てです。世界の裏側で起きた事件の被害者に対し同情を示すことはできますがあなたの目の前でその事実を認識できていないならば実はそれは起きていません。あなた(全存在)が認識していないならば起きているはずがないのです。もちろんその現場に飛行機を使ってあなた(全存在)が見にいけばその事実は起きるでしょう。その時はその事実が起こるのです。

(Visited 12 times, 1 visits today)