悟りとは教えではない

教えという時点で個人が出現する

師弟関係、、これは教える存在と教えをこう存在を生み出します。。ですが悟りにかんしては教える存在、教えを乞う存在の二者を全否定します、え????教えてもらえない????そうです、、教えてもらう自分が居ないというメッセージこそが悟りです。ですから悟りを自己啓発の延長線上に捉えると混乱します、全否定されるのです。

じゃあ、、悟りはどう学べばいいのか???

メッセージを淡々と理解していきます、、教えてもらうべき人も居ず、教えてもらう自分も居ないという滅茶苦茶な状況でことが進むわけです。これまでは教えを請う自分が確実に居ました、、、ですが悟りではこの自分が居ないというメッセージなのです。混乱しますよね、、、そうです、、この混乱こそが最重要、この混乱こそが価値があるのです、、この混乱に価値を置ける時に悟りが起きます。

悟りとは自分が居ないという事実を受け入れるということ

世の中の情報のほぼ全てはこの自分にとって重要か、重要じゃないかだけでしょう、、、ですが悟りはその情報を受ける自分が居ないというメッセージです。ベクトルが180度違うんですね、、でも空気を読まずにそれだけを発信するのが覚者です、、、事実に気づいちゃった以上それ以外できない、、、それが本音です。見かけ上の私もそれ以外したくない、、事実以外伝えたくないが今起きています。

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