この体がマリオだと思って生活する

マリオだと一日中感じて生活する

この体はマリオ同様3D映像です、五感で感じる蜃気楼です、空からの現象です。つまり空洞、幻影、ゼロ、空即是色です。ですから今日を1日この体をマリオだと思って生活します。そして周囲もマリオゲーム同様3D映像、幻影、空からの現象(色)です。マリオゲームですから歩いても本来周囲の画像が切り替わっているだけでマリオの位置は変わりません。マリオは土の感覚、階段の感覚、アスファルトの感覚を感じますがこれはあくまで感じるのみ踏み込む対象は全て3D映像です。

話しかけれられてもマリオとして対応する

話しかけられることもあるでしょう、その際にはマリオに成り済まし対応します。こちらからマリオとして話しかけても良いかもしれません。マリオになり切らない限り怒りや、憎しみ、嫉妬の感情は湧いてこないでしょう。マリオになり切らない限りそこに映る現象(人)と本気で仲良くしたいなど思わないはずです。つまり人間関係(映像関係)は軽いのです。深刻になれません。

マリオは腹が減るのだから働かなくては、、

問題なのはこのマリオは腹も減るし、光熱費も払わなくてはなりませんから、、まあまあ面倒なわけです。ということで働かなくてはならないでしょう、ですがマリオの名誉のために働く、マリオの名声のために働く、マリオの評価を上げるために働く、マリオの女受けを良くするために働くといった衝動は到底湧いてきません。なぜならばマリオはただの3D映像です。そういう意味ではかなり気楽でしょう。

マリオから出てくる欲求が少なくなっていく

この体をマリオだと思って生活していくとなぜか欲求が減っていくのが分かります、なぜか孤独感が少なくなっていくのが分かります、なぜか不足感が少なくなっていくのが分かります。これぞマリオマジック、悟りマジックです。この世界のカラクリが見えてきて同時に苦しさが無くなっていくのです。なぜならばこのマリオが実在しているという本気の思い込みこそが「苦しみ」の根源だからです。逆に言えばこのマリオゲームではマリオが実在しているという思い込みからくる「苦しさ」を脱してしまったらもう負の感情は湧きようがありません。それしかないのです。

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