最初から悟っていた

感じていることだけが事実

何か悟ると特別な感覚が宿るのではありません、全く違います。そうではなく悟ということはこの現実を偽るなく完璧に見るということになります。超能力者のように人間を超えた感覚を手に入れることではありません。特別なオーラが発散されるなどです、全く違います。思い込みを削除するだけです、勘違いを落とすだけです。例えばこの体が在るというのは完全な勘違いです、なぜならば映像として、触感として、匂いとして、叩けば鳴る音として以外は全くこの体を証明することができないのです。この体が在るは絶対に嘘です。これを理解します。

例えばこのお酒が在るは嘘

今飲んでいるお酒が確実にあるは嘘です、なぜならば映像として、飲んだ際の喉の感覚、味の感覚、香りの感覚、こぼした際の音の感覚は確実にありますがそれ以外は全くありません。ですから確実にお酒が実在するは嘘です。事実だけを突き詰めていきますと事実以外は存在しないことがわかります、この事実だけが自分であり根元です。この体の中に自分が居るは嘘です、それは思考です、そもそもこの体すらもないのですから。こうやって嘘を炙り出していきます、残った事実だけが自分、根元です。

経験しかない

事実だけを見つめ、事実以外を捨てていきますと、、どうやらこの世界には経験しかありません。実在するのは経験だけです。覚者が話す、何もないも事実、経験だけがあるも事実、全てが自分だったも事実です。五感で感じているだけが事実、自分、根源の現れです。そしてそれに対して湧いてくる思考も事実です。どうやら経験と思考以外何もないようです。

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