愛の表現に境目があるはずがない
今目の前に起こっている景色は愛の表現です。愛の表現、アートですからそこには境目、区切りは絶対にありません。もしも境目があるように見えるのならば見えるが起きているだけです、見えるも愛の表現です。もしも目の前で人と人の喧嘩が起こっているように見えてもそれも喧嘩が起こっているように見えるという愛の表現が起こりました。これが愛です。もしもロシア、ウクライナが壮絶な争いをしているように見えるならばそう見えるというのが愛から起きたのです。
友人夫婦が別れた
友人夫婦が喧嘩別れしたとしてもそれも全部愛の表現アートですから独立した友人二人が居るわけがないのです。もしもあなたにそう写っているならばそう写っているが愛から起きたのです。そう見えることこそが愛のアートなのです。友人夫婦という愛のアートとその二人が争うというアートが起こりそれをあなたが見るというアートが起きました。ひっくるめて全て愛のアートです。私たちは愛から出たことなど一回もなかったのです。
私が苦しいも愛のアート
私が苦しいも愛のアートです。私という感覚も、そこから生まれる苦しいも全部アートそのものです。苦しいを感じる私が居るも愛のアートです。愛のアートが無ければそのような体験は起きようがないからです。なぜ苦しむことができるのか??それは苦しいを作り出すメカニズムが愛そのものが作り出したからです。なぜ悲しむことができるのか?それは悲しむメカニズムを愛そのものが作り出したからです。苦しみ、悲しみ、辛さ、全部が愛のアート無しでは成り立たないのです。全部が愛のアートならば原材料は愛そのものですからそこに境目などあろうはずがないのです。