覚者が語る大丈夫の意味は

大丈夫というのは自分感覚にとってではない

自分感覚を持つ者にとってこの世界は全く大丈夫ではない世界です。支離滅裂、酒池肉林、なんでもありのヤバイ世界です。明日いきなり核戦争が起きてもおかしくないのですから大丈夫であろうはずがありません。ではなぜ覚者は大丈夫というのでしょうか、頭がおかしくなったのでしょうか、、究極の世捨て人になってしまったのでしょうか???世捨て人という意味では当たっているかもしれません。核戦争になっても大丈夫を連呼していたら完全な世捨て人であり、、、事実核戦争に突入しても覚者は大丈夫と言うでしょう。

自分感覚が無くなった存在は、、大丈夫以外起きようがない

大丈夫じゃないのは自分感覚の世界、、この自分感覚が欠落した場合、、世界はもうただの世界でしかありません、攻撃を受ける自分が居ないんこですから核戦争中であっても被害を受けることができないのです。いやそんなはずはない、、爆弾に巻き込まれて家が全焼したら被害を受けるではないか???違います。自分の「家」ではなくただ「家」が全焼するのですから大丈夫なのです。「家」が無ければ住む場所が無くなってしまうではないか?違います、住む場所が無ければ新しい寝床を探すだけです。そのときにその行動が起きれば。家が無い、食事がない、これは「自分」にとって大変なことであり自分が無ければ淡々と対応をするのみです。そして淡々と対応が起きるはずです。

戦争で野垂れ死んでも

仮に戦争で野垂れ死んでもそれでも問題はありません、死ぬ「自分」が居ないのですから。覚者が言う大丈夫とは一貫してこのことを言っているのです。自分という存在の欠落はこれまでの人生がそもそも破壊されてしまっていますからこれ以上破壊しようがないということです。この世の悩み苦しみとは自分が欠落した状態では体験することができないのです。隣町の火事のことで落ち込み続けることができない、隣町の交通事故で落ち込み続けることができない、隣町の窃盗で落ち込みつづけることができない、、つまり自分ごと以外で悩むことは難しいということです。これが覚者がいう「大丈夫」です。

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