怒りが起きた時の観察

怒りはどこから起きたのか?

怒りという感情が湧き上がったときに強く「自分が居る」が湧いてきています。自分が騙された、自分が馬鹿にされた、、、という思考には当然自分が居るがセットになっています。すると怒りという感情が湧いてきます、、これで自分が怒っているという思考が湧いてきます。この思考が怒りが湧くを継続しやすくします。事実では何も起きていません、ただ怒りと思考が湧いただけです。怒る自分と怒りの対象はただのラベル、実在はしません、名前という思考は実在しますが、、

これが分かると真剣に怒れなくなる

怒るには対象が必要ですし、怒る自分も必要になります。何も対象がなく怒る自分も居ないのに怒ることは難しいでしょう。役者さんは「ハイ怒って」と監督から指示が出たら対象の誰かを「想像し」実在するかのようなレベルまで集中します。こうしなければ怒りは絶対に湧いてこないのです。つまり怒るには「対象」が絶対に必要なのです。悟ってしまうとこれができない、、怒るべき「対象」が存在しないことを分かってしまうからです。本当はこの人は実在しないのでは???そう思考しながら怒るのは不可能なのです。

怒るぞ、怒るぞ、、、不可能

今日は絶対に怒ってやる、、、このときに絶対に対象が必要になります。それは政治なのか、ニュースなのか、芸能人なのか、友人なのか、上司なのか、、、、とにかく何かが必要なのです。そして怒るのは「自分」という存在無しでは不可能でしょう、、、二元の世界にどっぷりと浸からなければ不可能なのです。

(Visited 3 times, 1 visits today)