この世界が苦しい、、当たり前

苦しみも、悲しみも、何もない世界

なぜ人は悟りに興味があるのか???それは当たり前の話です、生命現象に名前さえ付けなければ人はその瞬間から至福の境地に戻るのです。全生命現象に苦しみなどありません、人間が勝手に名前を付け自分も作り出した時に初めて孤独、苦しみ、悲しみ、恐怖が生まれたのです。自分というこの世から完全独立した存在を思考の中で作り出したときに人間は苦しみを開発したのです。人間の脳が苦しみを発明したと言っていいでしょう。本当はただ生命現象が変わり続けるのみでそこには苦しみなど皆無なのです。

名前など一切ない世界に苦しみは存在しない

人間はこの体に名前を付けてしまったがゆえに自分がバカにされた自分が褒められた、自分が虐げられたという想像をするようになりました。事実はこの自分など存在しませんから自分が虐げられたなど空想の世界丸出しです、そして虐げられたと言って涙まで流すのです。思考にはそれほどの力があるわけですが事実は何も起こっていません。虐げる個人は存在せず虐げられる個人も存在しない、、これが事実です。

ユートピアなど大嘘

我々人類はどこか遠くにはユートピアのような平和な世界が在るのではないかと期待をしますが、、こんな滑稽な話はないのです。なぜならば今広がる世界には争いはそもそも全く起きていないのです、人間が勝手に名前を付けて争っているかのように見ているだけなのです。こんな自作自演はありません、本当に間抜けなことを人間はしているのです。この世から名前を無くしてみてください、襲われる個別生命体は存在せず襲う個別生命体は存在しないのです。ただ変化だけが起きています。

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