この人はこんな人、苦しみの世界にようこそ

この人はこんな人だろう、、

新橋の赤提灯に行けば、、、上司の悪口、部下の悪口、同僚への妬み、、、様々な会話が聞けますが、、その多くは人の性格、能力の話です。なぜ新橋の話題は何十年経っても変わらないのでしょうか、、、これだけ毎晩悪口が轟けば解決策を発見する人が現れてもおかしくはない、、、誰かがこの話題を辞める方法を見つけてもおかしくはない、、、結論を言いましょう、、、あの人はこんな人だは、、、全部思考です。あの人の中に特定の人格を形成する何かがあるというのは予想、思考でしかありません。あの人の体の中をかっぽじってそれを発見した人は皆無なのです。にも関わらずなぜこんな話題がエンドレスに続くのでしょうか、、、

実在しない何かを話題にする愚かさ

憎たらしい上司の体の中には実在するだろう何か(人格を形成する)があるはずだ、、そしてその何かがどうしようもないから俺は苦労をさせられている、、これが人間関係の全てです。ですがこの何かを発見した人類は皆無でこの俺を発見した人類も皆無なのです。事実では何もないのです。となれば空想、思考の世界、推測の世界に一日中思考を巡らせているから苦しいだけなのです。農家が楽なのは農作物の中に何かしらが居ると信じていないからです。漁師が楽なのは魚の中に何かしらの存在が居るという思考がないからです。人間の中になにかしらの存在が居るというこの発想を捨ててしまえばいいのです。

人に興味を無くすのではない、居ないことを見抜く

俺がこれだけ世話をしたのにあいつは不義理な奴だ、、、、この思考こそが苦しみそのものです。不義理な奴の体を叩き割ってみればそこには奴は全くいないのです、答えはその行動がただその奴を通じて起こっただけ。そしてこれだけ世話をした「俺」を叩き割ってみてもそこには俺が存在しないのです。俺の存在も奴の存在も発見できない、つまり空想予想の世界の住人同士でコミュニケーションをとっていただけなのです、この世界こそが苦しいのです。奴も俺も苦しい世界に居ただけ、これが事実です。