「我あり」の中に生まれたエゴ

エゴは後天的に生まれた

エゴは最初からあったわけではありません、「我あり」の中で人間という生命体が進化を重ね脳が発達することで「自分」が形成されました。この自分こそがエゴです、自我です。全体からこの体、思考、感情を切り離すエネルギー、言語、プログラムです。このプログラムはエネルギー、パワーですからこの存在を維持しようとします、強化しようとします。そして自動再生機能を持っています。このパワーが強い人を「自我」「エゴ」が強いと表現します。これは良い悪いではありません、これによってその人の自我人生の抑揚が決まります。自我が強ければ苦しみ、酸欠状態、居心地の悪さも大きくなりますからその解消に向けるパワーも大きくなります。

「自我」が弱ければ、、、

自我が弱いということは全体から切り離された力が弱いということですから不快感、欠落感、居心地の悪さも少なくなります。比較的穏やかな人生を歩むことができるでしょう、ですが不快感、不足感が少ないということでこの自我人生を永続させる可能性も高くなります。「全体」が「全体」に気づくきっかけがないからです。とはいえこれも良い悪いはありません。

「自我」が強ければ、、、

自我が強い人は苦しみが大きいのでその解消方法を間違えると苦しい時期が続きます。自我が強い人が自我が弱い人と同じような浮き沈みのない人生を歩もうとすれば居心地の悪さに襲われます。自我が強ければその分、目標を達成するなどの目先の成就、結果を追い求め、、それでは何も満たされないことを悟らなければただ絶望と共に居ることになってしまいます。

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