静寂から全ては生まれる

静寂とは気づきの意識

神を腕全体と考えると人間とは指です、指が突然意識を持ち、同時の活動を始めました。本当は独自の活動などはできるはずがなくただ起きた指の動きを「自分」がやったという思考が完成しただけです。その指は腕全体の中を動き回ることで距離、空間、そして行き着くための時間が生まれました、ですがこれは完全な錯覚です。本来指は腕の一部であって独自の動きなど起きようが無いのです。そしてその腕の動き、そこからの指の動きこそが生まれる場所こそが静寂です。腕の動き全体に気づく存在がなければ動きはありません。動くためには動かない何かが必要なのです。それを静寂から生まれると覚者は呼びます。

指の目線は独特

指の動き、指の視点は独特でして、、、指は指の価値観で腕全体を眺めます。すると腕というたった一つの物体が完全に分離して見えるわけです。体毛の一つ一つ、毛穴、皮脂、筋肉の筋、関節の凹凸、、これらが全部完全に分離した存在に見えるという魔法がかかります。指はこれらを観察し独自の解釈を加えていきます。これが指に例えた人間の人生です。指が腕の中を移動するのに本当は距離がないのが当然で指は腕の一部だからです。指の錯覚物語だけがあるということです。そしてその指の動きを静寂が観察します、指の動きは静寂から生まれます、腕全体の動きも静寂から生まれます。

あらゆる経験を積んだ指は腕の中で違和感を感じ始める

指が意識を持ち全行動を自分がやっていると勘違いしていくわけですがこの勘違いは疲れます、なぜならば勘違いだからです。勘違いというのは辻褄が合わないのですあらゆる局面で。本当に俺は指なのか??指の幸福は本当にあるのか?この自分とは一体何者なのか??あらゆる疑問点が湧いてきます。覚者は自分なんていないとい言う、、ではこの自分という紛れもない感覚はなんだ??これらの問答が自身の中で起こり始めると自分が実は腕全体であったという気づきが起こり始めます。指の部位だけを指してこれが自分とする思考がそもそも無理があったのです。