自分とは絶望
自分とは絶望です、なぜか???神はこの体、思考、感情のみを「自分」と意識することに成功しました。その際に何を失ったか??全体としても、神としての自分です。これだけ偉大で壮大で広大な自分を捨てて、、、この「自分」になったのです。これはもう絶望でしかありません。さらにこの「自分」はそのことを忘れていますから絶望がどこから来ているか既に分からないというおまけがつきます。
この絶望感はなんだ????
全体としての自分、神としての自分、大いなる存在としての自分を完全に忘却し、、この体、思考、感情のみを「自分」とする行為は絶望でしかありません。完全忘却はこの絶望をややこしくします。この絶望の真意が分からないのです。この「自分」は常に絶望を抱えながら日々生きていくことになります、この絶望感を忘れるようにひたすらに気晴らしを求めるようになるのです。
気晴らしではこの絶望感を解消できなくなる、、
全体であること、大いなる一つであること、神であることを完全忘却し、、この体、思考、感情のみを「自分」とするのは絶望です。この絶望感を感じたくないから人間は日々気晴らしに精を出すのですがそれでも限界があります。どれほど気晴らしをしても一切無くならない絶望感に気づいています。体力が落ちてきてもう逃げきれない、、この絶望感と対峙するしかない、、そういう危機にどこかで陥ります。これは人間にとって危機ですが私からすれば自我の消滅、自分の解体の絶好のチャンスでもあります。
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