悟りとは二元世界究極の遊び

悟りとは二元世界のカラクリを見抜く究極の遊び

悟りは遊びです、そもそも非二元でしかないこの世界に二元の世界を作り出し人間はこの二元世界の中で生きてきました。人間というこの独自の存在も幻想、そして人間がみるこの分離世界もまた幻想です。幻想が幻想を体験するという完全なファンタジーこれがこの二元世界の特徴です。この究極の遊びの終わりが悟りになります。悟りとはこの二元世界の謎解き、ネタバラシ、解明になります。名探偵コナンもそうですがこの最後の謎解きこそがクライマックス、最も盛り上がるエンタメになります。

この二元世界にはヒントがたくさん

なぜか我々はこの二元世界にどっぷりと浸かりながらも悟りという言葉を昔から知っています。悟りとは何かは何も分かっていませんが「悟り」という言葉自体は知っている、、、意味不明です。人間の本質のどこかが悟りがゴールであることを知っているからです。悟りなど自分の人生とは何も関係がないと思いつつもこの言葉が周知の事実になっていることこそが人間の面白いところです。

自我は悟りへの興味を拒絶する

私もそうでしたがこの「悟り」というジャンルだけは自我がなかなか興味を示してくれませんでした。それもそのはず悟りとは自我の終焉だからです。他のことならなんでも興味を持つ自我が悟りだけは御免蒙るとなるわけです。無我の状態になると悟りの本質を垣間見れるので私はこの悟りへの興味を絶やすことなく続けることができました。

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