悟り(非二元)解説

脱洗脳

無意識

洗脳とは無意識化で行われる行動です、、無意識ですからその動きが自身の体の中で起こっていることを自覚していません。無自覚ゆえに、、この動きを止められない。なんで俺こんなに怒っているのか???なんで私はこんなに悲しいのか????分かっていないのです。だからこれを理解してしまえばもう無意識化での感情が起こらないということです。

意識化

ペインボディの動きを見抜きます、自我の動きを見抜きます、、全部の手技、動きを完璧に理解できた時に、、無意識化の動きが終わるんです、全てが意識化された時「苦しい」「悲しい」「怒り」「驚き」「不安」という好きじゃない感情が消えます。だって欲していないのですから、本来。

感情を見抜くと

感情のカラクリが理解できますと、、「私」の登場回数が激変します、「あいつ」「こいつ」「あなた」も減っていきます。なぜならば、、、本来はそれはないからです。感情が湧き上がるから、、「私」「あなた」が登場するんです。すると自我のストーリーが消えていきます、、これが幻であるといいう「実感」が生まれます。エグいぐらいに日常が静かになるんです。

兄弟

自我とペインボディ

自我とペインボディーは兄弟です。自我とは私は居るという妄想であり、この妄想を生かし続けるにはペインボディとい感情エネルギーが重要になります。この二つは放置されると小さくなって消えてしまうがゆえに定期的に餌、エネルギーを必要とするのです。ペインボディは感情エネルギー体ですから、、感情を自由に想起できます、例えば急なイライラ、ムカつき、孤独、、、など、、これを起こすのです、花火のように。「バコーン」と、、すると、、この感情を確実に感知した直後、、「私」は、、犯人を探します、、正確には犯人を探す「私」つまり自我が起こるのです。この時点で効果は成功です。自我が起こりました。

次に

犯人探しをする「私」と、、それに付随して、、あいつのせいじゃないか、、あいつが昨日俺の悪口を言ったから、、あいつのせいじゃないか、、あいつが昨日陰口を叩いたから。。。目の前のこの嫁か????随分態度が大きいぞ、、、、です。こうやって思考がフル回転します、、これを、、ペインボディーがガブっと飲み込みます。そしてこの思考の渦では「私」と「誰か」というストーリーが起こるのです、、映画が上映されるんです、ドラマが進みます、漫画が始まります。自我OSががっつりと確立し、、イリュージョンの中にどっぷりです。

物語

我々を物語の中に押し込める最大のポイントそれが「感情」です。感情という疑いようのないツール、これを体は使って自我システムを維持するのです。寂しい、悲しい、辛い、怒り、、これらは100%実感できるのでそこから物語に打ち込むのです。寂しいのは誰????「私」しか居ないよね!!!!です。怒っているのは誰?????私しか居ないよね!!!!です。

一日中

こうして私たちは一日中「私」という檻の中に閉じ込められます。感情がガンガン湧くことで、、私ストーリーに閉じ込められるのです。ドキドキする時、、、このドキドキは何だ?????そうかあの人に夢中なんだ「私」が。。。です。こうやってこうやって「私」は誕生しあなたも誕生し、、妄想、幻想、夢の住人として生きるのです。

判断を下してくれ!!!

これどう思う????

あの人あんなこと言ってたよ!!どう思う????あの人最近こんなことやってるんだよ、どう思う????あの人から私こんなこと言われちゃって、、、どう思う?????この世界の親しい登場人物は、、見かけ上のこの「私」にこう尋ねてきます、、そして判断を求めます、、判断してくれ!!!です。これ罠です、気をつけて、、、、あるがままです、、ただ起こったのです、現象には意味など微塵もないのです。ここで「それは無いよね!!!」「それは酷い!!」をすれば私が判断を下すのです、、判断に私が参加したのです、宇宙にルールを設けたのです。

苦しい

宇宙に一旦ルールを設ければ、、、そのルールによって見かけ上の「私」が苦しむのです。正確には「苦しい」が湧きます。ルールって、、当たり前ですが、、実在していることになっている「人物」が対象ですよね、、、残念!!!!それが罠です、、、「人物」って幻想、現象、現れて消えていく「やつ」です。これがストーリーです、、私ではなく誰かのストーリーを思い描くという罠です。あるがままの世界から「はい、抜けました」です。

判断の罠

現れ出る現象に「判断」を下せば、、その現象がまさかの実在であることを証明することになります、嘘の証明です。この瞬間に緊張感が起こります、苦しいが起こるのです。「あの人の行動ダメだよね」これによってあの人を実在化し、、その行動をNOとジャッジしたのです、、、これが起こったのです。本当はあの人は現象です、、その行動も現れです、、それをストーリーとして実在化したのです。この実在化によってストレス物質が吹き出します。真の安らぎから離れます。

日々瞑想

生活

視座が変わりますと、、毎日が瞑想になります。毎日生きること自体が瞑想なのです。なぜか????あるがままをあるがままに見れるようになるからです。多くの方は歩くだけで「自分」が「判断」を下していきます。あの人格好悪い、あの人可愛い、あの人パッとしない、あの人、あの店、あの、あの、、、です。私とあの人、あの店を比較して、、比較して、、を繰り返しています。これは瞑想ではない、、ストーリーです。そうではなく、、現象そのものを感じるのです、そこに自分を置かずに、ただ現れては消えていく現象をそのままに観察します。

思考が現れても

思考判断が現れてもそれを反省するのではなく、、、その現象を感じます、そこからキャッチボールに入るのではなく、、、感じるのです。現れを現れとして感じます。あれ、今判断が起きたなーです。あれ思考が今起きたぞ、です。思考判断すら、、観察の対象なのです。一体化ではなく観察です。自身のペインボディーはお腹が空けば、、ネガティブな感情を現し、、ネガティブな思考を起こす仕掛けをしてきます、、それを感じます、、そこから思考の渦に入るのではなく、、、感じるのです。そしてペインボディーすら観察の対象にします。

何が楽しいのか????

そんなことして何が楽しいのか??????それこそが自我の罠、エゴの罠、思考の罠です。「私」は実は楽しむなどできないのです、、「私」ができることは刺激を貪り、、刺激を得る(これも錯覚)ことで束の間の苦しみ解消をしているだけなのです。だから楽しむの罠に落ちないでください。そこはただの刺激地獄です。そうではなく、、観察をやってみます、、無我になって観察をします。。すると徐々に徐々に、、生のダイナミズム、空即是色の凄みを感じれるようになります。

正気の抜けた世界

毎日毎日判断ばかりを下していますと、、ストーリーの世界から抜けることができなくなり、、その世界は無機質、虚無、正気の抜けた世界です。試しにやってみてください、、道ゆく人全員をジャッジしながら通勤してみてください。どんどん気の抜けた世界に入っていきます。逆に判断を一切辞めてみるのです、、あるがままをあるがままに感じるのです、、すると、、世界が変わります。これはマジックです、イリュージョンです。

悟りを開く

開いて人生を始める

悟りなんて遠い世界の話、、こうやって悟りは遠ざけられエゴ支配からの脱却を阻止されます。自我、エゴ、自分、私は、、、イメージに過ぎないのですがそのイメージにしっかりとあらゆる情報が紐づけられて、、私ストーリーを構成します。あまりに多くの情報がこれに紐づけられるがゆえに「私」はとんでもない存在感を放つのです。ですがこれをやっている間は至福には絶対に至れません。なぜならば自分とはイメージに過ぎず幸福になれるわけがないのです。

悟りを開いた後の人生

悟りを開いた後の人生ってどんな感じなんでしょうか?????簡単です、個人という概念が抜け落ちた人生です。個人が実在するという概念が抜け落ちた人生です。それって人生と呼んでいいんでしょうか????正確には人生ではないです、だって個人がもう居ないのですから。でもこの体の旅は続きます、全体の中の一部としての体の活動は続くのです。

至福の中で

個人という概念が抜け落ちますと、、至福の中に入ります。個人という概念こそが「苦しみ」を生み出していたことに気づくのです。個人に付随する思考感情こそが苦しみの根源だったのです。これに気づきます。個人が居るという前提の思考、感情こそが苦しみを生み出していたのです。個人が実は居ないという気づきは、、突然の至福です。そうです、我々はいつも至福の中で個人という苦しみのゲームをしていたのです。

他人の失敗を願う人生

勝ち負け

ボクシング世界一、、これを人生の目的にするということは他のボクサー全員が私に負けることを願うということです。金メダルを目指すならば、、他のアスリート全員が私に負けることを願うということです。このような人生目標に真の安らぎ、真の幸福、真の平和は絶対にありません。真の安らぎとは、、私も相手も全部が全部、、救われることを願う生き方です。勝負の世界で真の安らぎは起き得ないのです。世界一を目指すのではなくあるがままに安らぐのです。

私の成功

真の安らぎとは私の成功物語から足を洗うことです、、、幸福を得るはずの私が実はイメージに過ぎないことを悟るのです。完全なエラーです、、この見かけ上の「私」は幸福にはなれないのですから。幸福になれるのは大いなる存在のみであり、それは成るものではなく、、、自我から離れるだけです。

神が神に成る????

神が神に成るってどうやって????簡単です、神が自我に成り切るのを辞めるのです。私はこの体の中の存在だ!!!この宣言はそのまま体に反応し、、緊張感、分離感を与えます。これを辞めるのです。この視界そのものが私の現れである!!!これに変えます、、、これだけで真の安らぎが起こります。

やってあげないと

ない

この人は繊細だから、、、私がやってあげないと!!!心配で、、、、全部が全部大いなる存在の現れです、、その現れを心配する、、、っておかしいんです。勉強が全くできないって苦しんでいるんです、、、なんとかして助けてあげないと。。。。。勉強ができないことを受け入れればいいのですから苦しまなくていいのです。大切なことは勉強を頑張ることではなく諦めることです、諦めるならば誰でもできます。

収入が低くて

旦那が収入が低くて低くて悩んでいるんです、、、私が助けてあげないと!!!私がもっと収入が欲しいならば働けばいいい、、、私がそれで十分ならばそれでいいのです。旦那さんが勝手に悩んでいるならば諦めるまで悩ませておけばいいのです。

目の前

目の前に起こる現象だけが全てです、、それ以外は何も起こっていません。目の前の現象に本当に問題はあるのでしょうか????息子の将来が不安で。。。。息子さんの将来が、、目の前で何か起こった時だけ助ければいいのです。その現象が起こったら考えればいいのです。何を呑気に、、起きた後じゃ遅いんですよ、、、違います。目の前でしか事件は起きないのです、、目の前でしか処理もできません。ここ以外での活動は起ようがないのです。

情報

自我

自我とは情報です、、鈴木家の息子、A社の社員、男性、長男、A型、東大出身、、、、、全部情報です。これをかき集めたのが自我です。ここに宝くじ3億円が当たれば、、、それが加わります。そうすると湧いてくる思考が変わります、感情が変わります。詐欺で騙され全財産を失えば、、、また情報が書き変わり、、、湧いてくる思考感情が変わります。思考感情は書き換わった情報によって確実に変わるのです。

そこに自由はない

宝くじ3億円が当たっても湧いてくる思考感情を全く影響されないようにしよう、、、これが出来るならば、、自由意志はあると言えます、状況と思考が全く関係ないのならば、、思考は自発的でしょう。ですがそれはありえない。だから思考とは感情とはあるがままなのです。外的環境によってただ反応するだけです。

気づく

外的環境によってガンガン書き換わっていく自我、しれに付随して思考感情が自動的に湧き続ける、、、この事実に気づきますと、、、自我に対する態度が変わるんです。なんであんなこと言ったんだろう???そうかそう反応したんだな。なんであんな偉そうな態度を取ったんだろう???そうか、、そう反応したんだな。です。つまり自我から派生する思考感情をコントロールすることは不可能であり、、自我も勝手に変わることに気づくことでしかこの流れを変える方法はないのです。自我の存在が外的環境による創作物であるという真の理解が起こって初めて自我が形成されなくなっていきます。自我から派生される思考感情も止まります。

システムの理解

自我及び思考感情とはこのシステムの理解不足から起こるのです。自我という実態ありきの思考感情は自我が実態はないことが分かると湧きようがないのです。悟りとは自我の完全理解です。自我及び思考感情の完全理解が、、自我システムを崩壊させ、、あるがまま、大いなる存在を露わにします。

興味

コントロールできない

関心が向く分野とは全部関心を向けさせられています。関心ってどこに向くかこれってコントロールできません。つまり関心は自らが向けるのではなく全部向けさせられているのです。つまりなんであんなことに興味を持ってしまったんだ????はないんです。全部そっちに向かわせられただけです。だから回り道は一切なく全部が全部最短距離です。

悟り

悟りにもっと早く関心が向いていれば、、、そんなことにはなっていません。関心はそのベストなタイミングで向くのです。だから焦らずに今関心が向くことに向かえばいいということです。悟りの本がなかなか読めなくて、、それはまだ関心が向かないのです。関心が向く方向に進めばいいのです。逆に悟りにしか興味が向かないのならばそれはそういうタイミングだということです。

やらされる

見かけ上の私の場合、、急にあらゆる事業よりも悟りに関心が移り、そこから興味が全く離れなくなりました。本なども全く理解できなくてもひたすらに読まされます、、動画もエンドレスで観させられました。さらにブログを書けばこれも毎日10ブログも書かされる、、一体全体何が起こっているんだ???です。読むために書いて書くために読むが何年間も続きます。さらには急に断食が始まり食欲もほとんどない状態に。こんな行動考えてできません、、、我々は本当に全体によって動かされています。

答えられない

あなたは今幸せですか???

この質問実は真実を理解できると答えることができなくなります。なぜか????「あなた」というのがセルフイメーでしかなかったことに気づくことだからです。質問を受ける「私」が実在しないことの理解が悟りだからです。悟りとは理解であり、、この世界で使われる全ワード、言葉が幻想であることを理解することが悟りです。だから私、あなた、彼、彼女、、、、が全部幻想なんです。そしてこのことを今も実は全員が分かっています、どこかで。

実感レベルまで

分かるから、、実感まで引き上げる、、これが悟りです。本当は誰しもが奥の奥では分かっているんです、、知っているんです、、これを実感レベルにまで引き上げます。これが悟りです。深呼吸から悟りに入る、瞑想から悟りに入る、、真実の知識から悟りに入る、、思考観察から悟りに入る、、つまり実感に入るということです。強烈な観察力、実感で悟りに入ります。

面白い

どこから入っても大丈夫です、、最後は全部繋がりますから。例えば本は読めるけれど、、瞑想は全くできない。。問題ありません、本を読み込むことで視界の全てが瞑想に変わります。呼吸法がどうしてもできないんですが、、全く大丈夫です、、、目的が変わると突然できるようになります。ヨガとか面倒で、、意識を体に向けるだけでインナーボディーを感じられるようになります。入り口は本当にどこからでもいいのです、簡単な入り口こそが個性です。