悟りを開く

開いて人生を始める

悟りなんて遠い世界の話、、こうやって悟りは遠ざけられエゴ支配からの脱却を阻止されます。自我、エゴ、自分、私は、、、イメージに過ぎないのですがそのイメージにしっかりとあらゆる情報が紐づけられて、、私ストーリーを構成します。あまりに多くの情報がこれに紐づけられるがゆえに「私」はとんでもない存在感を放つのです。ですがこれをやっている間は至福には絶対に至れません。なぜならば自分とはイメージに過ぎず幸福になれるわけがないのです。

悟りを開いた後の人生

悟りを開いた後の人生ってどんな感じなんでしょうか?????簡単です、個人という概念が抜け落ちた人生です。個人が実在するという概念が抜け落ちた人生です。それって人生と呼んでいいんでしょうか????正確には人生ではないです、だって個人がもう居ないのですから。でもこの体の旅は続きます、全体の中の一部としての体の活動は続くのです。

至福の中で

個人という概念が抜け落ちますと、、至福の中に入ります。個人という概念こそが「苦しみ」を生み出していたことに気づくのです。個人に付随する思考感情こそが苦しみの根源だったのです。これに気づきます。個人が居るという前提の思考、感情こそが苦しみを生み出していたのです。個人が実は居ないという気づきは、、突然の至福です。そうです、我々はいつも至福の中で個人という苦しみのゲームをしていたのです。

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