解放

退屈は五感が作る

五感が鈍れば、、、

五感が鈍れば、、全てが退屈に感じます、、何を観ても、、、感動が起きない、、、何を体験しても感動しない、、全部が全部予想通り、、、全部が全部想定内、、、、つまらない、、退屈、、、どうせこんなん、、、がエンドレスに続きます、、、、実際には実は五感が鈍り、、、思考が廻り、、、負のループを回っているだけです、、、、

体を開いていく

体を物理的に緩めていきます、、、体を物理的に浄化していきます、、、、、、見える世界が変わります、、新鮮さが出現します、、、感動が起きます、、、、なぜ???五感が鋭敏になっているからです、、、感動を感じるほどに五感が開いたからです、、、、チャクラが解放し、、経絡が開いているからです、、、、体に溜め込んだ感情というエネルギーが成仏しているからです、、、思考の無駄な回転が止まります。

真実に迫る

真実はこうです、、、全てが全自動、全反射、全無意識に、、起こります、、思考も感情も行動も全部が全部自動です、、これを感じれるまで体を開いていきます、、、この真実を体感でもって感じた時が悟りです、、、あ、、本当だ、、、全部自動で動いている、、、本当に何一つ、、、自分なんて存在は関与していない、、、ただ起こりが起こっているだけだ、、、、が理解できます、、体験できます。

一人暮らし

子供が一人暮らしを始める時

どんなに一人暮らしを憧れても、、、不健康であれば、、一人暮らしをしようとはならない、、、どんなに一人暮らしをしたくても、、、体が脆弱であれば、、、アクションを起こせない、、、つまり知識はそこでは無力です、、、これは悟りも同じ、、、、どんなに悟りの知識を増やしても体がそれに見合わなければ、、、、悟りは起き得ないのです、、、ですが悟りたいという思いが起こるのは、、、もうその準備が始まっている証拠です。

悟りたいが起こったら、、、、

悟りたい、、、、が起こったら、、、、もう体がそこに向かっています、、、自我の解放を体が求めているのです、、、そこで知識ばかりを増やしても難しい、、、なぜならば、、、自我によって守ってもらう必要がこれまではあったのだから、、、ですから、、、その時はさらに体を開きます、、、体が悟りに耐えうる状態にもっていくのです。。。不健康、心がどん底からの覚醒は非常パラシュートの稼働です、、大ピンチ自我プログラムの解体です、、、、これは全然違います、、、、

悟りに耐えうる体の構築

修行は必要ない、、、それを連呼する覚者も居ますが、、、、その人はたまたまそうだっただけ、、、どう考えても自我プログラムは体を守る必要性を持って維持されている、、、ですから、、、健やかにこのプログラムを解体するならば、、、体を健康に健康に開いていく、、、チャクラを第一から開いていく、、、気の巡りを一つ、一つ開通していく、、この連続です。

面白いって何????

面白いは、、、ありのまま

日本はお笑い天国です、、、、TV番組を観れば、、、いつもお笑い番組が放映されています、、、お笑いとは何でしょうか????人が笑うのは何を感じているのでしょうか?????笑いとは、、、この自分が全くコントロールできずにことが進むことを諦めることなのです。。。。何年も準備して受験をしたら、、受験日を間違えた、、、、この人間の悲しい性こそが笑いです、、、実は何もコントロールできていない、、、ここに人間が触れると、、「ホッとする」そこに笑いが生まれる、、、、

何一つコントロールできていない

本当は何もコントロールできていないのです、、、本当は、、、どこまでも、、、その真実を垣間見ることで笑いが起きます、、、、何一つ、、本当はコントロールできていない、、、、、この事実は感じる力を上げなくては理解できない、、、、、この事実を感じているのは幼児です、、、、つまり、、幼児レベルに体を解放するれば、、、、この究極の真実を感じることができます。

なぜコントロール出来ているという勘違いが起きたのか????

分離した個人が「全てをコントロールしている」という勘違いが起きなければ、、、、全体を感じることはできません、、、全体は全体ゆえに、、、、分離しているという確かな感覚がなければ、、、この世界を構築した意味がない、、、ということになります。そういう意味では、、、徹底的な分離感、、徹底的な孤独感はこのゲームにおいて重要な要素であるということです。

徹底的な孤独感を癒してくれる

現在のお笑い芸人とは、、、この徹底的な孤独感を癒してくれる存在です、、、世の中って本当はこんなんですよ、、、という真実を、、、笑いというツールを通じて、、、表現しているのです、、、そんなに深刻になる必要はないですよ!!!です。みんな全然自分のことなどコントロールできていないじゃん、、と気軽な気持ちにしてくれるのです。もしもこれが真実でないならば、、、誰も癒されない、、、となります。

世界は私の中にある

これまで一度も世界の外になど居たことがない

この五感が掴んだ世界にしか我々は居たことがありません、、五感で感じた世界は、、、我々の世界であり、、この五感が感じていない世界は、、存在していないのと同じです。。事実我々は、、、、この五感が感じた世界に生まれ、、、今までこの五感で感じていない世界には住んだことがないのです。世界は我々の五感の中にあり、、そこ以外に存在しえないのです。

固定した世界は存在しない

固定した世界が先ずはあって、、、そこを我々の体が感じるのではなく、、、我々の感じたもの、、、=世界です。、、、世界は全くの幻想であり、、、固定した世界は存在しません。我々の五感=世界です。。。つまり五感を開いていけば、、世界はいくらでも変化します、、、我々の五感が全てです、、、、この事実をしっかりと捕まえて、、生きていきますと、、、世界は本当に素晴らしい、、この世界は無限の可能性に満ちているということが分かります。

幼児はそのことを分かっている

幼児が遊びに夢中になるのは、、全部が自分であることを確信しているからです、、、自分の中で蝶が起こり、自分の中でセミが鳴き、、、、自分の中で宇宙が広がります、、、この事実が分かってしまって、、、一体何をこれ以上求めるのでしょうか????この求めるという衝動自体が大勘違いから起きているのです。

体を開く

体を開きます、、ヨガ、ストレッチ、マッサージ、瞑想、鍼灸、、、、あらゆるメソッドを使い体を開きます、、、体を開くとは体の感覚、、効くという感覚に徹底的に寄りそうのです、、、、徹底的に効くに拘ります、、、すると徐々に体が開いてくる、、、、デトックスが進み、、体の流れが解放され、、、各経絡、各チャクラが、、整ってくる、、、、この時五感が鋭敏になり、、、世界が変わるのです、、、世界から退屈が抜け落ち、、鮮明になります、、、明晰になります、、、静寂、平和が訪れます。

下部チャクラを開く

思考は、、、上部チャクラ

現実が退屈だからと言って、、、、上部チャクラを動かし、、、思考にふけていますと、、、益々下部チャクラが、、閉じ込み、、、、、、バランスを崩します、、、、今、、、、現実が退屈なのは下部チャクラが閉じているからであって、、、その解決方法を上部チャクラに依存すれば、、、、益々下部チャクラが閉じ、、、さらに現実が退屈になるという負のスパイラルに入ります。現代人の多くはこのパターンです。

下部チャクラを活性化する

下部チャクラを活性化しますと、、、自然と動ける体になります、、、現実を切り開く力が湧きます、、、この現実(実は幻想)を切り開く力がつくことで、、、退屈から解放されます、、、、思考にふけるのはなんと言っても現実が退屈だからです、、、だからこそ、、、下部チャクラを活性化して、、、、この現実を動き回れる体にしてしまい、、、退屈から解き放たれます、、、、

退屈の反対が満足

思考ばかりが先行する、、この世界は、、、、退屈ゆえに起こります、、、退屈だから思考しよう、、、退屈だからせめて思考して刺激を作ろう、、、この連続です、、、、そうではなく、、、、下部チャクラを最初から活性化してしまい、、、、動ける体を手に入れます、、、五感を活性化して、、、、五感が鋭敏になり、、この世界(幻想)をしっかりと感じることが出来た時に、、退屈が無くなり、、充実に変わります、、この充実の延長線上が、、大充実=悟りです。

開脚という動き

下部チャクラの活性化には、、、足の開発が重要です、、脚という体の部位を徹底的に活性化していきます、、足裏マッサージ、、ストレッチ、、ヨガ、、なんでもいいので、、、徹底的に動かします、、癒着を剥がし、、、滞りを解消するのです、、、これによって、、、下部チャクラは活性化し、、、第一チャクラから、、順番に開いていきます、、、、すると五感が研ぎ澄まされて、、、退屈ではなく大満足、大充実が起きます。

感情を解放し、、五感を高める

体に溜まった感情

体に溜まった感情を、、、エネルギーとして感じ、、それを成仏させていくことは、、、五感を高める最も大きなツールになります、、、東洋医学では、、、、、、陰陽五行の経絡上に、、、全感情が溜まっていくと考えます、、、、この感情を、、、、、マッサージ、鍼灸、導引、漢方で解放し、、、病気を治すのですが、、、これが全身の五感を変えます、、、視覚は木、味覚は火、触覚は土、嗅覚は金、聴覚は水、、、、となります、、、つまりこれら五行の狂いは、、この世界の狂いです。

この世界をどう感じるかは、、、五感に依存する

感情は五行の経絡に溜まり、、、感覚は五行の経絡に依存する、、、そして感覚がこの世界を作り出しのですから、、、世界とは健康に依存することになります。勿論感情を生み出すのが我々の観念でありこの観念の形成を理解することは大変有効です、、、ですが溜まってしまった感情を今処理することで、、、五感が変わり、、、世界が変わってしまうという事実に目を向ける必要があります。

世界は五感で出来ている

この世界は五感でできています、、、というよりもこの世界は完全なる虚構ですから、、、幻ですから、、、この世界とは実は実在しません、、、この体もしかりです、、、ですが、、、この体を使った経験、感覚は確実に実在します、、、、ということで、、、この感覚の鋭敏さが、、、、この体験の充実度にそのまま影響するわけです。

体は全部分かっている

大きなことはしない

体を休める、ストレッチをする、、マッサージをする、、塩風呂に入る、、、、どんなことでもいいのです、、、体を解放していきます、、大きなノルマを作って急激に変えようとしるのではなく、、、徐々に徐々に解放していきます、、、、、個人が好きな方法で合った方法で、、、行っていけばいいのです。

五感が鈍れば思考が飛び出す

五感が鈍り始めますと、、、、思考が湧きます、、、思考が退屈を解消しようとします、、、、ですがこれに乗ってはいけない、、、やばい!!!五感が鈍っているな、、、、と体に意識を向けるのです、、、変な思考が湧く時は、、、体の五感が鈍り始めています、、、、思考に逃げない、、、体に向かいます、、、五感が解放されればされるほどに、、、、幸福度がハッキりと高まります、、、

五感VS思考、、ではない

五感が鈍くなり、、、、退屈になると、、、思考が飛び出す、、、つまり思考は、、、、体のセイフティーネットです、、、、セイフティーネットに甘えないことです、、、、思考は退屈凌ぎの覚醒剤ですから、、そこに甘えてはいけない、、、あ、、やばい!!!五感が鈍っている、、、で体に戻るのです、、、、体の五感を開いていきます。

悟りを今日から感じる

悟りとは感じるもの

悟りとは頭での理解ではありません、、、思考で理解して、、、それで終わるものではない、、、徹底的な体感です、、、体感ですから五感で感じるもの、、、、今日この瞬間に悟りを少しでも感じたら、、、、次に進める、、、ではどうやって悟りを感じるか????簡単です、、、今この瞬間の満足度が、、悟りの満足度です、、、今、、、こうして部屋を見渡す時の満足度が、、悟りの感度になります。感じるをコントロールすることはできません、、、これが真実です。

寝不足で、、

寝不足が続いている状態で、、、、散歩をする、、、、全く楽しくない、、、なぜならば、、、五感が開いていないから、、、、散歩が気持ちが良い時、、、、五感が間違いなく開いている、、、、ここに注目します、、、散歩が楽しい、、、この状態に体を導きます、、、、散歩だけでも大満足、、、、五感は開き切っています、、、そこまで五感が開いた時に、、真実を受け入れる土台ができます。

全ては全自動で起こる

このメッセージは日常が大変過ぎる人には恐らく届かない、、、、メッセージを飲み込む、、余裕がない、、だから意味がない、、、、体を解して解して緊張を取り除き、、、、幸福度が完全に上がったっ時に、、、、このメッセージが届く、、、、その時、、、、全てが理解できる、、、、自動反応、諸行無常、森羅万象の動きが分かる、、、本当にその通りだ!!!と、、、、それがさらなる五感解放に繋がります。つまり究極の悟りです。

虚しいとは真逆

無限の現れ

今目の前に無限の現れが起こり、、、「私がそれを見た」が起きました、、、これは宇宙創造最大の目的であり、、これ以上の目的はここにはありません、、、、つまり、、、、我々は何かを見た、、、という経験こそが最大の恩恵であり、、それ以上の目的は実はこの世界には存在しないのです、、、、だから幼児は、、、、目の前の玩具に、、、、、夢中になり、、、、至福に至るのです。。。。。。。ですが大人は、、、、このおもちゃは私にとってどんなメリットがあるか????損得で思考し、、、、霧がかかった世界にいきます、、、、霧がかかった世界ゆえに、、、、探求を続けるのです。

全く何も見えていない

実は我々は全く物を見えていません、、、ありのままとは真逆な景色を見ています、、ゆえに、、、この世界は退屈だ、、、と感じ、、、、なんとかしてこの退屈な世界で、、、刺激的に生きれるかを探るのです、、、、ですが本当はこの世界は、、、、全てが神々しく、、、、それが見えていないということが、、、、この世界を苦しいと感じてしまう要因なのです、、、、、

今目の前に神が居る

幼稚園児が生きる世界は、、、神の鏡です、、、今神がそこに居ます、、、、、、、、ですが我々大人は、、、目の前に神が居ることに気づきません、、、、とんでもない不感症患者になっているのです、、、目の前の神に気づかない、、、鈍感人になっているのです、、、、、、、、幼稚園児は毎日が神の創造物で溢れています、、、、大人は、、、、体が鈍り切り、、、、目の前の神に気づいていないだけなのです。

体を解放する

幼稚園児と、我々大人の決定的違いは何か??????体が鈍感になってしまっているのです、、、感じる力が落ちているのです、、、、目の前の神に気づかないぐらに鈍感になっているのです、、、だから体を解放します、、、、積極的に体を緩めます、、、、緩めることで体を強くします、、、、緊張による強度ではなく、、、緩め切った状態からくる強度を高めます、、、、すると、、、、今を感じる力が増えます、、、目の前の神に気づきます、、、、これが悟りの道です、、、、ありのままに感じる、、、、ありのままに生きる、、、ありのまま。

ありのままに感じるために

全自動

全てが全自動である、、これもありのままに感じるツールです、、全てが全自動であることを理解することで、、ありのままに見やすくなります、、思考が湧いてこなくなります、、感情が湧いてこなくなります、、幼稚園児はこれが分かっています、、、全てが全自動であることを、、、思考、感情、行動をコントロールしているなど考えていません、、、、だから今を感じています、、だから今を感じまくっているのです。。。。

試しに

スポーツすると食事が美味しくなります、、マッサージをしてもらうと、、ただそれだけで幸せになります、、、ヨガをすると、、その後のお酒が美味しくなります、、、感覚は体の影響をダイレクトに受けるのですから、、、これを突き詰めます、、、収縮したエネルギーを全解放していきます、、、感覚がどんどんどんどん鋭敏になっていきます、、、原始感覚が蘇ってきます、、、すると、、、、何もしなくても幸せ、、、という悟りの階段を登り始めるのです。

この世界は幻想だから

幼稚園児は感覚が全開です、、、だからといって彼ら彼女らは、、、何もしないなどあり得ない、、その感覚を使って、、、感じまくっています、、、ボールで遊び、おもちゃで遊び、、毎日感じまくっています、、、毎日が変化、変化、変化、、、これです。。。この世界が幻想で、、、この幻想は幻想故に退屈なのではなく、、、この幻想は感じまくれる人にとっては天国です、、、感じれない人には地獄、、、感じるとは全緊張を解放し、、感覚を鋭敏の局地にすることです。

幻想は、、体験の場所、、

この幻想は幻想ゆえに、、体験しなければ、、地獄の場所になります、、、ですが一方で我々は毎日体験しかしていません、、、部屋に居るのも体験です、、、ということは、、、この体験の濃度が充実度を決めるということです、、、体験の濃度とは、、、感じる力です、、、感じる力が最大限か最小限かによってこの世が天国にも地獄にもなります。