観念

独自の経験が独自の解釈を作り独自の人生ストーリを生む

経験という唯一の事実が解釈を生み出す

全財産を友人から奪われた、、この事実がその人にとっての今後に人生の価値観に組み込まれます。人は信用できない、人はお金の前では過ちを犯す、、などです。これがその人の価値観に強く組み込まれると、もう人は信用できない、、、が基盤になり、、その目でニュースや人を観察し始めます。すると本当にこの世で信用できる人はいなくなります。こうしてこの人の人生ストーリーは出来上がっていくのです。ですがこれは夢です。全財産を奪った友人が現れたとしてもそれも夢、全財産をくれる友人が次の日に現れることもあり得ます。夢ですから。そうなると人は信用できないという価値観が一瞬で崩れるのです。人は親切だに変わる可能性があります。

どんな経験が起きようとも、、、これは夢

全財産を突然くれる老人が現れても夢、全財産を奪う友人が現れても夢です。夢ですから何が起きても不思議ではない、この夢の中に固定のルールはないのです。あるとすれば自身がこの現実とはこういうものだと決め付けるということです。夢にも関わらずこの現実はこうだ!と決めつければその決めつけによってこの夢は変幻自在に変化します、夢の中で。大人になればなるほど、これが夢、というメッセージが届きません。あらゆる経験を積んできていますからその分固定観念が固まりそれに基づく夢物語を見ているからです。

こんな時代だから将来のために、、、、、

将来はこうなるらしい、将来の準備を今のうちに、、過去にこんな景気があったから今のうちに、、将来の病気に備えて今から保険を、、、こうして人間は過去に囚われ、将来を憂いて今をそのためだけに使うようになります。過去の反省を踏まえ、将来のために今をこう使おう、、、このノリです。ですがこのノリで生きていきますと死ぬ直前まで来年の準備のために今を使うだけの人生になってしまいます。老後のために今があるという恐ろしい事態に。過去に起こったことを踏まえて、、人生の価値観を定め、、、将来のために準備する、、、ですがこれは夢ですから過去も未来も因果に関係なく何でも起きます。そして夢の中にいる限り人間とは不足感発生器であり苦しみのままです。

偽りの自分はメリットを聞きたがる

偽りの自分は不足感でできている

これは夢です、神が見る夢です。この夢の中で神が人間になり切って、人間がいるかのような状況を作り出しこの夢物語を歩みます。人間が実際に実在するわけではありません、人間が実在しているかのように見える世界を神が作ったのです。マリオがいてクッパがいてクリボーがいてスーパーマリオは完成します。同じように主人公(私)と脇役を多数配置してこの錯覚ゲームはリアリティーが出て来ます。これは神が作った夢、ゲームですからリアリティーさにかけては右に出るものはありません。全知全能の神が無知無能の人間を作り出しそれに成り切っているわけですからこのゲーム、夢は不足感全開、欠乏感全開、、これがポイントになります。無知無能の人間が欠乏感全開になった時にどういう行動をとるか?メリットを追求します。コスパを追求します。損得を追求します。これが答えです。

五感+思考+感情、、これに脳の記憶装置を加えて完成

神が見る夢では人間(本当はいない)に五感を与え、見えて聞こえて、触れて、味わえて、嗅げる機能をつけると同時にその世界を現象化、バーチャル化、リアル化しました。人間の五感機能分だけ世界がリアライズされるのです。さらにこれに思考を加え、感情を加えることで不足感をいかに解消していくか、、思考を繰り返しながら観念を作り上げていきます。それに記憶力を加えることで過去を作り出しストーリーが完成します。湧き上がる不足感をあらゆる観念が感情化しそれを思考で解決していこうという試みになります。

不足感全開の無知無能人間は最初はメリットを重視するが、、

神にとって人間は無知無能です。その人間は不足感全開になりそれをなんとかして解決しようと行動します。人間ができることと言えばなるべく損をしないで生きたい、将来後悔しないような人生を歩みたいということになります。周囲から教えてもらう損が少ない人生を目指すようになるのです。進学しかり就職しかり結婚しかりです。ですがどこまで行っても消えないこの不足感は常に自分を追ってきます。この損しない生き方ゲームは死ぬまで続くのだろうか?ということです。神は人間を無知無能に作りはしましたがそれは不幸に浸かれと言っているわけではありません。その状況から神に戻ることを最終ゴールにしています。このブログでは神が教えてくれるあらゆるヒントを掲載します。

言語を超えたとこにあるもの

人は言語で全てを理解しようとし夢に没入する

何かが起きた時、人はそれを言語で理解しようとします、言語で納得しようとします。あれが起きたのはこういう理由からだ、こういう根拠でこれが起きたのだと。こうして表層上物事を理解していきます。その理解がその人の信念、観念になって固定化していきます。するとこの夢はそのように実際に見えてきます。人は勝手に何かしらの解釈をし、その通りに見えるようになることで益々この視界に広がる世界に確信を得ていくのです。つまり夢であることを忘れていきます。

解釈するのは自由だが苦しくなる

これは神の夢です、神が見る夢です。この夢に対し、あらゆる解釈を重ねていくことで夢は現実味を帯びていきます。ですがこれはどこまで行っても夢ですから人は解釈を繰り返すに従って夢に没入していくだけになります。夢はそれを現実と勘違いすればするほどに深刻さが増していき苦しくなっていくのです。人はこの生命現象を言語化して安心しようとしますがこの行為が皮肉にも人生を苦しくしていくのです。分離した個人がより一層確実なものであるという誤解が強まっていきます。

分離した個人が居るわけがない

あらゆる解釈をしてこの夢を固定観念化するのは自由ですが、分離した個人が居るというこの感覚はどう考えても誤解です。一つなるものがこの夢を作りだし人間というこの個体があるという錯覚を元にこの夢は構築されています。ですがもしもこの人間なるものが実在しているとすると理論上破綻することだらけになります。なぜ子供よりも知識を多く持つ大人が深刻になっていくのか?その知識こそが誤解を深めているからです。その知識こそが真実を曇らせ誤解の旅にリアリティーを加えているからです。キリストが説く原罪とは「的を外している」という意味から来ています。人間は誤解の上に誤解を塗り重ね結果苦しみ続けます。

観念が変わると新しい問題が登場し最終的に神に戻る

観念は世界を変える

大きな体験をすると観念が変わります。例えば大病をする、大借金をする、倒産する、投獄にあう、、これらの体験は確実にその人の観念を変えます。この人間ゲームにおいて観念が変われば見ている世界が変わります、全く新しい人間関係、それに付随する問題が登場します。人間ゲームにおいてあらゆる経験がその人の観念を構築していきます。ゲームのOSが切り替わり次のゲーム展開が変わっていきます。

観念を変え続け最終的に「これが夢だ」という観念にする

ワンネス総指揮、人間夢物語はワンネスが人間に扮する夢です。この夢において人間はあらゆる体験を積んでいくわけですがそれによって観念、信念が書き換わっていきます。大きな病気に遭えば体を大切しにし、大好きなことをやって死のうとするでしょう。投資に失敗し大借金をすればお金中心の価値観が崩れるはずです。観念が変わるとこの夢物語が変わります、見える世界が変わります。これは夢です、そのぐらいは簡単に起こります。あらゆる体験を重ね、あらゆる目標、渇望を叶えたにも関わらずそれでも満たされない自分がいたときにこれが夢であることに気づきます。この夢の中で人間をしている限り至福には至れないと。

最終的に自分は実は夢の中の登場人物だった、、、という観念

良い大学に入らなくてはならない、良い就職先を見つけなくてはならない、良い伴侶を探さなくてはならない、、子供を良い学校に入れなくてはならない、、これらは観念です。観念は大きな体験とともに変化していきます。お金よりも健康、名誉よりも小さな幸福、仕事よりも生きがい、、、と観念は変わっていきます。これが神が見る夢のシステムです。観念が変われば世界が変わる、夢ですから。そして最終的な観念、それがこれが夢だと気づくこと、誰の夢か?神が見る夢です。これは神の夢で私は神が扮する主人公なのだという気づきです。

思考の優劣という不毛な勝負から抜ける

人間ゲームは思考の優劣勝負

これは夢です、ワンネスが見る夢です。この夢の中では登場人物は思考の優劣勝負を頻繁に起こします。偏差値勝負、学歴勝負、要領勝負、出世勝負など、、これはどれも思考の優劣を勝負しているようにも見えます。この思考勝負の弱点は思考こそがこの自分(主人公)を夢の中に閉じ込めるツールだということです。思考を駆使すればするほどに自身をこの夢に閉じ込めます。夢の中は不足感、欠乏感、孤独感を湧き出し続ける空間です。時間、空間の世界とは不足感製造時空間なのです。

思考は観念であり夢物語を書き換える

これは夢です、その中で思考はこの夢物語の書き換えを行います。この世界はこうなっているという思考はそのままこの世界、夢を書き換えていきます。ですから思考には力があります、思考とはそのような力があります。ですがこの夢物語に居る間は不足感が湧き出してきます。それがあらゆる欲望に代替され人間はその欲望を叶えるために動き続けるのです。どこまで行っても夢物語の中で至福に至ることは絶対にないのです。常に欲望を叶えるために動き続けるのがデフォルトです。

崇高な欲も下衆な欲も所詮はワンネスの代替品

これは夢です。そしてこの夢の中にいる限り不足感を湧き続けて生きていきます。この不足感はあらゆる欲望として代替されていきます。ワンネスが見る夢ではワンネスは人間に生まれ変わっているのですが同時に不足感を抱えます。広大無辺なワンネスがちっぽけな人間としてこの夢を生きるのですから当然です。そうなると人間はあらゆる欲望を抱えることになります、ワンネスの代替品を求めて日々動き回るようになるのです。その欲望は崇高なものから下品なものまで様々でしょうが全てはワンネス、大いなる一つの代替品に過ぎません。

これは夢だから関心を持った世界がそこから広がっていく

高級車に興味が出れば街中に高級車が溢れてくる

これは夢です。ワンネスが見る夢ですからもしも主人公(ワンネスのキャラ)がもしもベンツに興味が出れば街中をベンツが走るようになるのです。もしみ異性に興味が出れば異性が増え、特定に時計に興味が出ればその時計をつけた人が増えていきます。夢だからこそワンネスがその人間体験を望めばその人間体験の夢が始まるわけです。もしも海外に興味を持てばその海外に詳しい人がそこ夢で現れてきます。それは偶然でも必然でもなくただワンネスがそのような人物を夢の中に登場させただけです。

お金儲けに興味が出ればお金儲けに関する情報が集まってくる

自分(主人公)が本当に興味があることであればワンネスはその体験を積ませるような夢を制作するはずです。お金儲けに興味が出ればお金儲けを知っているような人が現れたり、その手の情報がネット上で目につくようになるでしょう。そして主人公はその手の人々、情報に触れるようになりそのドラマ、夢はそっちの方向に膨らんでいくはずです。これは夢ですからワンネスが自分(主人公)を使ってどのような人間体験を積みたいかです。

引き寄せの法則は誤解をうむ

引き寄せの法則は誤解を生む法則です。主人公が自身にとって都合が良い状況を引き寄せるような印象を持ちますが、主人公にそのような力はなく、、あくまでも主人公の本当の存在であるワンネスが夢の中(ワンネス劇場)の中で主人公の観念に従って観念にあう状況を作り上げていくのです。観念とはこの現象界を照らす懐中電灯のようなもので照らされた場所が現象化するという仕掛けです。夢ですから全て幻想です。

これは夢だから宇宙人の侵略すら起きえる

この夢の第一の目的はこの夢に夢中にさせること

ワンネスが作ったこの夢の目的はこの夢から覚めさせないことにあります。ドップリ苦しんで、しんどい思いを沢山経験しワンネスがワンネスでは経験できないことをフルパックツアーで経験してもらうことにあります。歓喜、平和、安堵そのものであるワンネスが苦しみ、悲しみ、孤独、虚無感を感じることができません。そのためこの夢を創造し、小さな自分を誕生させることでこの喜劇、悲劇を創造しました。だからこそこの夢の途中段階では宇宙人、浮遊霊、アセンデッドマスター、仙人などを登場させて飽きさせない工夫が拡散されています。

観念書き換えはこの夢のシナリオ書き換えでもある

観念の書き換えが起こりますとこの世には天使がいて、イルミナティーがいて、宇宙人がいるという現実を作り出すことができます、人間の思考を書き換えていきますとそれはこの夢のシナリオを書き換えていくことができるのです。この夢に新たな登場人物を登場させることもできるのです。自身が信じたことが起きるというのは観念書き換えによる夢ストーリーのシナリオ書き換えです。

観念を書き換えても至福には至らない

観念書き換え方法は本屋さんに行けばいくらでも書籍があります。成功哲学、自己啓発本などなど、、腹落ちするまで思考、観念を書き換えていきますとハッピードリームを見ることができるようになっていきます。ですがここで一番重要なのはこのドリームで何を達成しようと、どんな幸福を手に入れようと、どんな夢を叶えようと、、不足感を埋めることはできないということです。それは自身がこの人間であるということ、主人公であると信じることで不足感、欠乏感、孤独感が湧き続けるからです。

全存在は全存在ゆえにあらゆる世界を許可する

人間ゲームでは浮遊霊も念力も超能力もなんでもあり

全存在は全存在ゆえに人間ゲームにあらゆる可能性、多様性を持たせてくれます。輪廻転生、守護霊、憑依霊、念力、アカシックレコード、チャネリング、空中浮遊、、このゲームはゲームであることが簡単にバレてしまっては意味がないのであらゆる選択肢、可能性を作りゲームに熱中させるようにできているのです。例えばドラゴンクエストには裏面というのがあります、表面をクリアーしたらまさかの裏面の登場です。現実社会をクリアーしたらまさかのスピリチュアルな世界が登場するのも同じです。現実的欲求を満たし切った人間は、精神的欲求、次いで霊的欲求を満たすように設定されているのです。これは全て自我ゲームの不足感、欠乏感、孤独感を埋めるために設定されています。

思考を変えると新しい観念が生まれ新たなゲームが現れる

この人間ゲームを人間ゲームにし続けるための設定は思考を変えること、観念を変えることが重要になります。脳の認識を新しい知識で変えていくことで観念を変え見える世界を変えていきます。ドラゴンクエストの表面、裏面の切り替えを人間の観念を使って変えていきます。その人が思考するような世界が広がるように設定されているのです。こうして人間ゲームは永続的に続くように工夫されているのです。人間の観念書き換えは人間ゲーム継続の鍵です。

現実的欲求、精神的欲求、霊的欲求あらゆる欲を満たしても満足しないこの欲求は人間であるというトリックを見破らない限りクリアできない

マズローの欲求五段階説ではないですが生理的欲求、所属の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現欲求、自己超越欲求と、、欲求は延々と続くのがこの人間ゲームです。なぜならば自身を人間であるとい勘違いをしている限り不足感、欠乏感は延々と湧き出てくるからです。このトリックを見破らない限り我々はラットレースのように延々と走り続けていくことになるのです。自分自身がこの心身ではないという悟りを開かない限りこの苦しみは延々と続きます。こんなに努力を重ねてきたのに実はこの心身が自分ではなくてそう錯覚してきた全存在こそが自分だったという夢から覚める体験をしない限り人間ゲームの苦しみが続くのです。

海であることを忘れた波は夢に夢中になる

夢中になれない夢ならば意味はない

海であることを忘れた波にとってこの世は夢物語、波物語です。波の観念によって大きく様変わりする夢です。リアリティー全開、五感全開の夢ですからこの夢を夢と見抜くとのは至難の技です。思考すればするほどにこの夢は複雑に入り込んでいきます、そしてその夢の中でいかに自由に快適に生きようかと思考をフル回転させればさらに複雑な夢、リアリティーが誕生するという見破れないパターンが進みます。

全存在がこの世を作ったのは夢にどっぷり浸かるため

この夢がなぜあるかと言えばまずはこの夢にどっぷりと浸かるためです。最初からバレバレな夢ならば夢から醒める感動は皆無です。ですから先ずはいかにこの夢にどっぷり浸かるかが重要です、どっぷりと浸かり深刻に人生を考え、重く将来を憂うことから人生はスタートするのです。だからこそそこから夢を見破ることに価値はあるし夢から醒める感動もあるわけです。

簡単に醒めない夢だから価値がある

この世が簡単に見抜けてしまう夢ならば価値はありません。この夢の醍醐味とは夢から覚めたときの感動です。あまりにリアリティーがあって夢とは思えないからこそ夢から覚めたときの感動があるのであって簡単に夢だと気づけてしまうのならばこの夢の価値は半減するのです。この心身こそが自分であるという錯覚を作り出すエネルギーは紛れもなく全存在のエネルギーでありこの夢は悪意で創造されたわけではありません。全存在が自身のエネルギーを使ってこの心身が自身であるという錯覚ゲームを創造したのです。ツッコミどころ満載、アラ全開のこのゲームを愛おしいと思うぐらいの余裕があればいいのですがそうではこのゲームの醍醐味は薄れます。

夢というのはリアリティーがあればあるほど醒めない

退屈な夢は醒めやすい、刺激的な夢は醒めにくい

毎晩人間が見る夢は刺激的な夢のう方が長く見ていられる気がします。退屈極まりない夢だったら途中で覚めるかもしくは怖すぎても起きるかもしれません。今我々が居るこの現象界は夢です、そしてこの現象界をストーリ化しているのは自身の観念。どんな夢を見るかは自身の観念が決めています。要は思考ということになります。どのような思考を信じているかでこの夢の内容は変わってくるということです。思考が積み重なり何十層にもなっていけばいくほどにこの夢、ストーリーは複雑怪奇になっていき緻密な夢になります。故に誰もこれを夢とは見破れなくなるのです。

自身の思考でこの夢を複雑にし、複雑故に疲れ果てていく

思考を重ね複雑に考えれば考えるほどにこの夢物語、海物語は複雑さを極めていきます。複雑であればあるほどに誰もこの夢を夢だと見破ることはできなくなります。こんな複雑で緻密な夢があるわけがないと信じ込むようになるのです、というよりも疑わなくなります。生き抜くためにあらゆる思考を手に入れて逆に生き辛くなった人間はこの苦しみから逃れるためにこの世の真実を探すという旅に出かけます。どうやら思考を積み重ねていってもこの現実は楽にはならないと諦めていくわけです。こうして人間を主人公にしたこの全存在の夢は覚めるための夢物語にシフトしていきます。この夢物語の中から覚めるためのヒントを探していくようになるのです。

先ずはこれが夢なのだと自覚することからスタートする

これが夢だということ、この事実を先ずは受け入れることからスタートします。そして明晰夢の状態でこの夢を生きていきます。これが夢だと覚めるために人生を費やしていきます。ですがこの発見のために過剰な努力をしたりムキになったり、思考を重ねてもそれは無駄に終わります。なぜならばその個人の囚われこそがこの夢を永続するシステムだからです。この個人がいないということ、これが夢だということの発見のために個人が頑張れば本末転倒です。なぜこの夢は苦しいのか、なぜこの夢には平和がないのか、なぜこの夢には本当の愛がないのか、、このように夢を観察する、、そして無我に入るとなぜその時だけは平和が訪れるのか、なぜ無心になるとその時だけ歓喜が訪れるのか、、このように夢の傍観者として生きていくことがスタートです。