気づきの意識

ストーリーへの誘いを断つ

思考は常に誘う

思考はいつでも自分をストーリーの中に引き摺り込もうとします、、、これは問題では、これはいつか問題化するぞ、、、と思考は常に湧き上がってきます、、、これによっていつの間にか思考にしていることに気づかない状態になってしまいます、、、これが完全に悟りが閉じた状態、苦しい状態です。気づきの意識が思考と完全合一化している状態です。

思考が湧いたらそれに気づくだけ

思考が湧いたらそれに気づくだけです、、思考の手の内を完全に理解することです、、、目の前の状況を問題視し状況で終わらせないのが思考です、、、ただお金が無いという状況を、、、お金がないと飢死にするぞ、、と問題化し、、、グルグルと頭の中で解決策らしき思考が湧き続けるのです、、、お金が無いは、、ただの事実です、、それに対し、、淡々と行動が湧くのを待ちます、、、川の流れのように行動が湧いてくるのを待つのです、、これしか本当はできないのです。

思考はああでもないこうでもないと、、、騒ぎ立てるが、、、

思考はお金がなくなったら、、餓死するかも、、友人がいなくなるかも、、今の場所から追い出されるかも、、東京を離れることになるかも、、、、と騒ぎに騒ぎますが、、、事実は川の流れのように、、、淡々とただ起き続けます、、、状況は変わり続けますし、、、この体という状況も合わせて変わり続けます、、、ただそれだけです、、、思考がどうこうできる状況(森羅万象)はないのです。

ただ思考に飲み込まれずに状況を観察する

重要なことは思考に飲み込まれずに、、、状況を観察する気づきの意識になることです、、、ただ観察します、、状況の変化、、この体の動きの変化を観察します、、、この体と一体化、同一化してはいけません、、この体の動きすらも状況です、森羅万象の動きです、、、それを観察します。すると、、そこに平和があります、静寂があります、平和があります、、、このストーリーに一切飲み込まれないことが、、、悟りです。

朝起きると瞑想が始まる

朝起きれば瞑想から、、、

思考を観察するというのは、、、瞑想です、、、朝起きて思考を観察し始めますと、、、スッと静かになります、、風の音、鳥の声、太陽の光、全てが静寂に包まれながら起こります。そして昼になり、、、さらにこの瞑想が続きます、、ただ思考の観察をし続けます、、、静寂が増していきます、、、一日中が瞑想になります。

毎日いつでも瞑想生活

毎日いつでも瞑想生活になります、、思考が湧いてきません、仮に湧いてきても、、、直ぐにそれを観察する気づきの意識になります、、悟りが閉じるのは、、思考に飲み込まれて思考していることすら気づかない状態ですからそうならないように気をつけます、、、1日に何度も思考に飲み込まれそうになりますがその度に思考に注意深くなるのです。

思考に飲み込まれた状態が何なのかが分かっていないだけ

思考に飲み込まれた状態が何なのか??ここが分かっしまえばこれはもうほぼ終わりなんです、、思考に飲み込まれている状態とは、、意識がそこに完全集中し、、思考と同一化しているということです、、ゲームに集中している子供は時間を忘れ、自分がゲームをやっていることすら忘れますね、、、思考に熱中するとはこのことなのです、、、思考に熱中し過ぎて我(気づきの意識)を忘れているのです。

悟りとは思考の存在に意識的になるだけ

思考をどう扱うか

悟りとは思考との付き合い方である、、、そう断言してもいいぐらいに思考に左右されます、、、、というのは多くの方は思考癖がついて自分が今思考しているという事実に気づいていません、、、つまり思考に意識的であるということは、、、その時点で思考を観察する存在、、気づきの意識、全体、神に戻るということなのです。

思考を野放しにしない

思考の存在に対し意識的である、、、たったこれだけで、、、常に静寂、平和、歓喜に包まれます、、、こんな簡単なことで、、なぜ???そうです、、、我々は意識そのものであり、、静寂、歓喜、平和そのものなのです、、だから簡単にその境地に行けるわけです、、、ところが思考に簡単に取り込まれてしまうことでこの座を受渡してきたのです。だから幸福、至福を追い求めるのです、、おかしい、、そんなに遠い場所にあるとは思えないんだけど、、と。

絶対幸福が遠い場所にあるという罠

絶対幸福は遠い遠い場所、一部の一部の成功者だけが手に入れるもの、、、この発想が実は罠です、、、そうなるために思考をフル回転して、、獲得しましょう、、、全部罠、、、、絶対幸福とは、、思考に取り込まれていない状態、、ただそれだけ、、、、思考の発生に意識的である、、、ただそれだけで成就していしまう、、なんじゃそりゃです、、、、何も達成する必要もなく、、何も成就する必要もない、、、ただ思考に対して意識的であるだけ、、、それだけです。

思考無しに目的達成などあり得るか???

計画は最重要

大きなプロジェクトにおいて計画は確かに大切でしょう、、ですがそれと思考に取り込まれていいというのは全く別の話です、、、思考自体がダメなのではありません、、、思考していることに気づかないほどに、、、思考に取り込まれている状態が苦しい状態なのです。。。思考に取り込まれた状態とは思考していることに気付いていない状態です。

今私は思考している

今私は思考している、、、そのような気づきを持っている人はどれ程いるでしょうか??多くの場合は思考していること自体に気づいてもいないでしょう、、、癖というのはその動きにすら気づいていないことを言います、、思考癖も同じで思考していることに気づいてもいません、、ですから思考に取り込まれないことを意識するだけで思考癖は解消できるのです。

癖とは自覚するだけでいい

あなたは実は一日中思考していますよ、、、この気づきで、、思考癖は緩和されます、、思考とは突然起こり、、思考に取り込まれ思考していることにすら気づかない、、、この事実に気づくだけで、、、人は思考から解放されます、、というよりも自我が解放されます、、、思考する自分という存在が解放されます、、、気づきの意識が残ります、、、、存在が残ります、、、アイアムが残ります、、、

何かを達成した時に訪れる静寂を今感じる

ホッとした、、、

金メダルを取れて今どんな気持ちですか????とってもホッとしてます、、しばらくはゆっくり休みたいです、、、あらゆるプレッシャーから解放されて今はとにかくホッとした気持ちです、、、ヒーローインタビューでこんな会話を聞いたことがある人が多いでしょう、、、、ホッとする、、、これって何が起きているかといえば、、、もうしばらくは何も考えなくていい、、、というホッとしたです、、

最初から考えなくていい

思考することに無防備になっている我々現代人にとって思考しなくていい状況とは、、何かを達成した時だけ、、、この時だけです、、、だから金メダル取得、就職決定、内定決定、卒論合格、、、こんな時しかホッとするのが許されないのです。。。本当にそうでしょうか、、最初から思考しなければいいんじゃないですか???いや思考しなくては目的は達成できませんから、、、違います、、、目的が達成できるかどうかは川の流れ、森羅万象の動き次第、、思考とは全く関係がありません。

つまり我々は最初からホッとしていていい

結果が出るでないが森羅万象の動きならば、、思考は必要ない、、思考に取り込まれる必要もない、、思考を観察する存在のままでいい、、、気づきの意識のままでいい、、、になっていきます、、すると静寂そのもの、、平和そのもの、、歓喜そのもの、、になっていきます、、。その状態でただ淡々と結果だけが起き続けるのです、、これが降参、サレンダー、悟りです。

思考に飲み込まれない瞬間を求めて

何かを達成したいのは

何かを達成した瞬間、、思考が飛びます、思考が静かになります、、、この瞬間を求めて我々は日々朝から晩まで活動しています、、、思考がない時間を得るためならば何でもやります、、、状態です。。。だとしたら、、、最初から思考に飲み込まれなければいいのでは??そうです、、、最初から思考に飲み込まれない状態を作れてしまえば、、、、何も成し遂げなくてもいいではないか。。。

あまりに簡単過ぎて、、、

これはあまりに簡単過ぎるのです、、簡単すぎて、、気づけない、、、、思考という、、この文明の利器が実は人間を不幸のどん底に落とし込んでいるなど、、、気づけない、、、、意識というのは実は何にでもフォーカスできます、、目の前のコップ、景色、仕事、、、多くの人は思考にフォーカスしているのです、、、思考とはこの自分という偽りの自己にフォーカスしているということ、、、だから苦しいのです。

毎日思考を観察する

思考が湧いたらそこに自覚的になります、、思考が湧いたら、、その思考を気づきの意識として観察します。これによって思考に取り込まれなくなります、、思考していることに夢中になり過ぎて、、思考していることを忘れる状態がなくなります。何もしていなくても静寂に包まれる感覚を肌感覚で味わいます、何もしていないのに平和という状態を感じます。この状態が安定しますと何かをしなくては、、が消えます。何かをしなくても静寂に包まれているからです。

キャラが立つとは?

キャラが立つは褒め言葉

あの人はキャラが立っているよね、、、こんな言葉を聞いたことがあるはずです、、、キャラ立ちする、、自然とキャラが完成し好印象を与えている人のことを指したりします。どうしたらキャラって立つのでしょうか???重要なことは自然と立つということです、、明日からキャラを立たせていこう、、、これは無理です、、、来年はしっかりとキャラを立てていくことにしました、、、これも無可能です。。。。キャラは立てようとしたら逆に立たないのです。

機能になれるか???

この体をこの宇宙の役割であるという気づきを得ると、、、機能がシャープになります、、機能が研ぎ澄まされます、、、このシャープさ、エッジこそキャラ立ちです。思考と自我を切り離し、、、自我を消滅させ、、その上でこの体を大いなる一つ、気づきの意識の役割として発動させる、再出現させると、、、機能性が上がります、、、そこには思考がべったりと絡み込んだかつての自我が存在しないのです。

思考を認識し、、思考に意識的になる、、自我を消滅させる

自我を消滅させるための最重要事項は思考を観察することです、、思考は一瞬の隙間を使って入り込み、、、思考していることすら完全に忘れさせて自我と完全合一します、、、思考していることを完全に忘れている状態、、これが思考自我完全合一作戦成功の形です。思考の湧き上がりを常に意識化します、思考が湧いたら即認識します、、、この時気づきの意識は気づきの意識のままです。。。これは格闘技と同じ、思考の湧き上がりに取り込まれてはいけません。すると思考と自我の絡みつきがなくなり、、、、自我が薄まり最終的には消滅します、。機能としてのこの体が残ります、それがキャラ立ちです。

思考への焦点を剥がす

思考に焦点が集中する

思考に焦点が集中しますと、、、思考との完全一体化が始まります、、すると思考していることに気づかなくなります、、、1日中思考していてもそのことに気づく存在がいなくなるのです、、、思考との完全一体化、、が起きます、、、この事実に気づき、、、思考の湧き上がりに意識的になっていきます、、、思考が湧き上がる瞬間に注意深くあるのです。たったこれだけで、、思考の渦に取り込まれなくなります、、平和が満ちてきます、、静寂に包まれます。

どこに焦点が当たっているか

私たちはコップを凝視しながらTVゲームをやることができません、YVゲームに集中すると、、コップを凝視できません、、、一度に二つのモノに焦点を当てることができないのです、、、つまり人間ゲームに焦点を当てると、、他のものが見えなくあります。。。個人というこの感覚に焦点を当てると、、他が見えないのです。今人生が大変に苦しいのならば、、この個人に焦点が完全に合ってしまっている、、ただこれだけです。

焦点を気づきの意識に戻す

焦点を気づきの意識に戻す習慣を見に付けていきます、、、思考が湧く時に、、、それを観察する存在になります、、地面を踏み付ける時に、、その経験のみに焦点を当てます、、、ジュースを飲む時に、、、その味そのものに焦点を当てます、、、目を閉じて現象を消し去り、、気づきの存在として音に気づきます、、全ての経験を個人に焦点を当てず、、、気づきの意識の気づきに焦点を移行します。。。

思考が湧いたら気づきの意識に戻る

思考はただ湧き続ける

思考はただ湧いてきます、、、エンドレスに、、、思考が湧き上がることはこの体を持つ以上当たり前のことです、、、ですがこの思考が湧くことに無抵抗のままだと独り言を一日中話す老人と同じになります、、、これは苦しい人生へのシフトです、、、思考が湧いたら、、その思考を観察する存在になります、、思考を観察する存在とは気づきの意識です。。。これを癖付けします、、これを新しい習慣にします、、気づきの意識に1日に何度もシフトします。

気づきの意識へのシフトに思考も動く

最終的には思考は、、、気づきの意識へのシフトにも動くようになります、、、気づきの意識そのものならば、、どうしたら気づきの意識そのものとして生活できるだろうか???と思考が湧き始めます。関心の全てが気づきの意識になっていきます、、、そりゃそうです、、、この体の中に自分が居ると信じ切っていたのに、、違ったのです、、、今更今までの自分のために活動していられるか???という話です。

気づきの意識万歳、思考万歳

気づきの意識にシフトが起きますと、、、思考は気づきの意識の道具として気づきの意識の衝動を支える仲間に戻ります。。。機能としてのこの体の役割を支える道具に戻ります、、次に何をしよう、これをしよう、、明晰な頭脳で、、ミッションを遂行していきます、、、もはや思考は現状維持の機能ではなく、、目標達成のための機能になります。

進化向上

進化向上は森羅万象の動き

個人とは森羅万象のアイデアです、この個人には実態はありませんから、、この個人は森羅万象の動きそのもの、、森羅万象は変化し続けますからこの個人というアイデアも変わり続ける運命にあります、、これが進化向上です。個人とはいずれ解体され森羅万象のそのものになるわけですがそれが起きるまで進化向上が続くのです。

進化向上とは俯瞰のこと

小さな子供は砂遊びを毎日続けるうちに、、徐々に上手くなっていき、、大人でもできないような作品を作り上げ、やがて飽きて次の遊びにシフトします、、、これが進化向上です、、、、向上し飽きて次に向かう、、ただこれだけです、、、、アルバイトに慣れたら正社員になり、、正社員に慣れたら、、自営業者になり、、自営業者になれたら、、社長になり、、、社長に慣れたら会長になり、、、会長に慣れたら、、地域の自治会長になり、、地域に自治会長に慣れたら市長になり、、市長に慣れたら県知事になり、、県知事に慣れたら国会議員になり、、、

進化向上に抵抗する

進化向上が義務であり、、これが自然な流れです、、、ですがこの自然な流れの中で、、思考は食べれているならばそこに居座りたいが発生します、、、この進化向上VS現状維持の戦いが苦しみになります。進化向上が正しくて、現状維持が悪いのではありません。進化向上というベクトルと現状維持のベクトルの戦いが苦しみを生み出しているという真実があるのです。

思考との同一化は現状維持を強化する

多くの方は実は一日中思考していることに気付いていません、、思考していることに気付いていないということは、、思考と完全同一化しているということです、、独り言をずっと喋ってい老人は喋っていることに気付いていません、、、この状態です。。。思考は現状維持をしようとする機能ですからこの状態では進化向上の動きは完全にシャットアウトされ、、現状維持が続きます、、苦しいが湧き上がります。

思考が起きていることに気づくだけでいい

思考が起きていることに気づくだけで、、、思考への同一化は終わります、、、思考が気づかれずに同一化が強化されいつの間にか現状維持の強力なシステムに飲み込まれます、、進化向上が止まります。思考が実は一日中沸き続けている、、この事実に気づくのです、、、すると思考することに対して冷静な自分の存在が浮かび上がります、、、これが気づきの意識、進化向上の大元です。進化向上に対して思考の無意識の抵抗が終わります。