悟り

空(本当の自分)はなぜ雲(偽りの自分)を消さないのか???

雲(偽りの自分)でいるのが辛いなら

雲(偽りの自分)が存在し続けるのが苦しみならば、、なぜ空(本当の自分)はこの雲(偽りの自分)を消し去らないのでしょうか????雲は全部消える運命にありますよね?????残念ながら、、上空に浮かぶ雲に良い雲悪い雲などないのです、、どれほどの苦しみ(雲)が大発生しようと、、、それも完璧な雲なのです。この世界の雲(出来事)に優劣を付けるのは雲(偽りの自分)です。つまり空(本当の自分)にとっては全て完璧な雲なのです。

完璧を消し去る必要がない

本当のことを言えば空には雲を消し去る力はないのです、、この雲は放置しこの雲は消去、、、そのような取捨選択はあるはずがないのです。空はただそこにあり、、そこから浮かぶ雲に気づくという現象(雲)が起こるだけです。もっと、もっと言えば空には動きは全くないのです、、もしも空に動きがあったら、、時間が発生し空間が発生しと空は時間空間の産物になってしまいます。空は完全無欠、動きはなしです。

この世界は全感情、全思考が漂う(雲)場所

苦しい(雲)は発生できない、辛い(雲)は発生できない、、、だとすればこの空は無限を提供する場所では無くなってしまします。この空(本当の自分)は無限の現れ、無限の現れを提供する場です。ですから苦しい、悲しい、辛い、楽しい、嬉しい、、、全感情(雲)全思考が漂うのです。これが完全な自由です。そしてそれを生み出すきっかけになる偽りの自分(雲)を消し去ることもないのです。

分離感覚を楽しみ統合感覚も楽しむ

この空(本当の自分)ではどこまでも分離感覚(雲)を味わうこともでき一方統合感覚(雲)も味わうことができます。しかしながら偽りの自己(雲)が経験する全ては快楽と苦しみの両極でしかなく、、ここには真の安らぎ(空)は存在しません。そしてそのことは空(本当の自分)から気づきが起きます。偽りの自分(雲)が織りなす快不快の両極では一生真の安らぎ(空)には至れないことを悟り、、そこから空への帰還を求めるようになるのです。そしてこれも雲(現象)として起こるのです。

自我(雲)保存の法則

記憶に気を付ける

自我とは本当は存在しないので過去に完全に依存しています。過去がなかったら自我は存在できません。その証拠に記憶喪失になれば自我は消えます。ですから普段一人で過ごしている時、あらゆる記憶が蘇ってくるはずです。これぞ自我(雲)保存の法則です。もしくは将来に関する不安です、、将来こんな風になりかもよという思いは全部この自分に降りかかってくるわけです。過去の記憶、将来への不安を駆使してこの自我保存の法則は機能するのです。

自身は空であるという概念

自身は本当は雲ではなく空である、、それを概念で理解したところで、、過去の記憶、将来への不安が押し寄せ、、この自我(雲)を圧倒的に保持しようとする動きが起こります。考えてみてください、もしも街のチンピラに絡まれたり、盗難にあったり、誰かに裏切られたり、そのような事件があれば自我を絶対に意織するはずです。ところがそのような事件は実際には起きないので、、過去の記憶を利用したり将来の不安を利用するのです。こうして自我(雲)保存の法則が動くのです。

山に篭るのは合理的

かつては悟りを開くには山に篭って、、というイメージがありますがこれは当然と言えば当然なのです。なぜならば知人や家族とのコミュニケーションはどうしても自我を意織せざるをえないからです。友人知人はこの体の中に自我が居る前提で話を進めますからこちらもそれを意織しながらの会話になります。自我の嘘を見破りたいのに自我をイメージしながら会話をしなくてはいけません。山に篭れば敵は記憶のみですから、、自我の嘘を見破るには効果的です。

現代は

現代は山に籠らなくても書籍やYOUTUBE、ブログと様々なメディアを通じて悟りに関するメッセージを得ることが出来ますから昔に比べてはるかに悟りを開きやすい時代です。悟りとはこの偽りの自分を見抜く作業であり覚者は偽りの自分ではなく全体、空からのメッセージを直接届けてくれます。見かけ上は人間の体(雲)ですがそのメッセージは空から起こっています。

空には時間がない

空には時間も空間もない

ここからここまでが空で、、空が動くから時間が必要????全くありません、空には空間も時間も存在しないのです。なぜならば空はたった一つであり動くことも進むこともないからです。あえていえば無限大の存在、唯一無二。その空に有限の雲が湧き上がります、、雲とはこの体、この鳥、この花、この思考、この感情、この、、、見える全て聞こえる全て、触れる全てが雲です。ですがこの体(雲)この思考を自分だという思考(雲)感覚(雲)が生まれその雲が連発するようになりました。すると、、その私があれをやろう、あれをやらなきゃ、こうしようああしよう、、という雲も現れるように。自分が空だ、、、という自覚は完全に抜け落ちたのです。

いつもただ遊んでいただけなのに

最初はただ他の雲(子供)と遊んでいるだけで楽しかったのに、、徐々に「この体、思考は私だ」という雲が湧くようになっていくと常に「苦しい」という重黒い雲が湧くようになってきました。なとかしてこの重黒い雲を消し去ろうと動くのですが全く消えないどころか逆に増えていくのです。もうこの頃には自分が空だった感覚は完全になくなり雲として一心不乱に動くようになります。

自分(雲)の動きが重黒い雲(苦しい)を生み出してないか?????

これだけ一生懸命に一心不乱に働き誠実??に生きているのに一向にこの「苦しい」という重黒い雲が消えやしないで増え続けている。これって本当は俺(雲)が作っていないか???生み出していないか????大正解!!!!そうなんです、この重黒い雲の発生源は「私」雲だったんです。そこから悟り本(雲)などを読み漁るようになっていくのです。

この私も雲だった

この絶対的存在、輪廻転生までして存続しているこの私が雲?????その気づきが徐々に徐々に起こるようになります。本当の私は偉大な雲(有名人)ではなく、、、、空だったのか・・・・悟り本に書いてある内容が徐々に徐々に腑に落ちるようになり、、、最終的に空である自覚が湧いてくるのです。そこからは空として雲をただ眺める日々です、、そこからもあらゆる雲(現象)は湧いてきますがもう「この体は私だ」という思考雲に取り込まれることはありません。絶対的な安心の中で雲としての動きがあるだけです。

人生とは雲が連続で起こること

自分は雲だ!!!

この体は私だ!!!これはこの雲は私だ!!!ということと同じ思考です。青空それが本当の私なのですが、、その中に漂う雲、、この雲を私だ、、、という勘違いが起きることがこの人生です。ちなみにその思考も雲です。この雲が漂いますと、、、本当の自分が分からない、、、という思考が必ず起こります、、なぜならば「この体は私だ」は真実ではないので自動的にそれが起こるのです。すると、、今度はこの不快感を消すために、、あれをしよう、これをしようが湧きます、、これも雲です、、、雲が雲を新たに生み出すような仕組みができます。

しばらくすると

エンドレスに思考感情の雲が発生することから、、これが私の人生だ、、という思考も湧きます、、これも雲です。私の人生、あなたの人生、、という発想が生まれるのです。これも雲です。この雲をつなぎ合わせることで、、過去があり現在がある、、という錯覚が生まれます、、この錯覚も雲です。雲の特徴は現れた瞬間消えるということです、思考も感情も現れては直ぐに消えていきます。これを過去にこんなことを思ったという思考が今現れるのですがこれも雲です。

雲が空を覆う

雲が連続して生み出されている状態は苦しい状態です。空は全くのノーダメージですが、、苦しい、、という感情の雲が湧き続けています。そしてそれを解決するための思考という雲もまた連発します。空自体は全くのノーダメージですが、、苦しいという感情が湧くのは事実です。悟りとはもう一度空として雲を観察しましょう、、というメッセージです。あなたは本当は空なんです、、、雲の一部を私と勘違いするのをやめましょう、、ということです。

悟りとは雲をただの雲と気づくこと

悟っていない状態は、、雲(体)を自分と勘違いする雲が起こり、、この雲が消えない状態です。悟りとは全部が雲でしかなく、それは空とは何も関係がない、、私は雲(体)じゃなく空なんだという気づきです。最初から空じゃなかったことは一度もなく、、ただ「この体この思考この感情が私だ」という思考の雲が消えなかったのです。この雲の発生は「憤り」という雲を実は生み出すことからこの雲を消そうとあらたな思考(雲)が湧き続けていたのです。

願いが叶ったその瞬間

何も得る必要がない状態

受験勉強に成功し志望校に受かった瞬間、就活に成功し志望企業に受かった瞬間、最良のパートナーを得た瞬間、、これらの瞬間人は、、、もう何もいらない、、という満足感を得ます。お腹がいっぱいという感覚よりも真の安らぎをその瞬間に垣間見るのです。その感覚が忘れられないがために人は次の目標に進むわけです。ですが実はこの手に入れた瞬間の苦しみから開放された感覚こそが開放性、真の自己の感覚なのです。

何も心配ない

多くの人は次々と目標を叶えていくことでこの真の開放性に出会う経験を実はしているのです。その経験は絶対に忘れることができない経験なので人は中毒になり次を追いかけるわけです。ですがそれは対象を手に入れるというやり方では常に一瞬、一過性のものであることも徐々に気づいていきます。すると人は対象ではなく真の自由、真の安らぎ、真の平和はどこにあるのか????という疑問を持つのです。

未来ではなく

未来に常にその対象を求めてきたのですが、、そのやり方では当然一過性の幸福を追いかけるだけであり、、そこに答えがないことに気づきます。すると初めて「悟り」という言葉を思い出すのです。そういえばそのような言葉があったなーです。関心が手に入れるではなく手放すに行くようになります。するとこのドラマ上でそれらに関する情報が集まり始め真の探求が始まるのです。

今理解できなくていい

悟りに関する理解

自由意志はないんですよ!!!これを聞いてそうなんだ!!とは絶対になりません。自我がこの手の話を聞いて満足して受け入れるということは絶対にないのです。まぜか??????自分の存在を大きく見せるために何千万円のマンション、宝石、高級車を買ってしまうような動きが、、、、自由意志はない!!を素直に受け入れるわけがないんです。自分を守るために全国中継の記者会見で嘘をつくようなエゴの動きが「自我は存在しない」を簡単に受け入れるわけがないんです。

ですが

ですが、、自由意志はない、自我は偽り、、、、この話を聞いている、読み込んでいるのは誰でしょうか??????私ではありませんよ、自我ではないんです、エゴでもないんです、、、大いなる存在です、、、全部大いなる存在が聞いている、読み込んでいるんです。頭に入らないと思っていますが、、違います、、読み込み拒否をしているんです。この内容を内容通りに読みこんでしまったら、、エゴシステムが消えてしまうんです。自我システムが上手く機能しなくなってしまうんです。だから拒否します。

「私」は年度末で終了です

この会員証は年度末まで、、この免許証は年度末まで、、この「私」は年度末までしか使えません。。。焦りますよね、困りますよね、、、、待ってよ!!!この感情が大いなる存在から湧き上がるのです。「この体この思考この感情が自分」という思考感覚が体に反応しちょっと待ってよ!!!!が起こるんです。だから読み込みエラーが続きます、悟り関係の書籍は読み込みエラーがしばらくは続くんです。

少しずつ大いなる存在の読み込みが始まる

ところが大いなる存在はビビリではありません、大いなる存在は臆病じゃないんです、、、ですから少しづつ確実に読み込みエラーが解けていきます、、、自我のシステムが徐々に緩み始め、氷解し、柔軟になるに従って、、真実の内容を大いなる存在が読み込んでいきます。救われるには、苦しみを終わらせるには、、、真実に戻る以外にないことは大いなる存在が一番分かっているのです。

色が空に気づくことはない

色は空の中に出来た幻影

この体もこの自我もこの思考もこの感情も即座に気づかれるのはここが空の中だからです。空は色に気づくという動きは起きないのですが空の中、幻影の中では気づくが起きます。色とはつまり気づく、気づかれるの世界です。そして空では何も起きていません。空の幻影の中でこれらは起き続けます。空から幻影が起こりその中であらゆる現象が気づかれるわけですから何かが空の存在に気づくというのは不可能です。ですが空の幻影全体が全体に気づくこは可能です。

この自己感覚は

この自己感覚は現象の一つです、この体の中に自分が居るという感覚が気づかれているのです。ですがこの自己感覚は色の現象ですから消えることがあるわけです。その時に、、空の幻影全体に戻るのです。それが悟り、解放。目覚めです。ですがこれは空そのものになるということではなく空の幻影全体に気づく全体に戻っただけなのです。小さい子供はまさにその状態で生きていますから将来不安とは意味不明なんです。

空の幻影全体(色)が

空の幻影全体(色)としての感覚に戻った時に、、寂しいとか苦しいとかあるわけないんですね。そこはもう真の安らぎでしかない、、ただこの体は現象として起こり続け見かけ上あらゆる成功失敗をしますからあらゆる感情は起こり続けます。それは小さな子供が感情豊かなのと同じです。

悟ると経済的な成功者にもなれるのか???

分からない

先のことがどうなるか????こういう条件が揃うとどうなるか????これらは全部無知から来た質問です。全ての現象は「異次元の何か」から起こるのでそれをコントロールできる自分というのは存在しません、コントロールできると思っていた自分が実は居なかったという気づきが悟りです。ですからこの見かけ上の世界でのこの体が大きなお金を取得するかどうかは全く分からないのです。

ただし

先ず第一に悟るとは「異次元の何か」からこの現象が起こりその中にこの体が起こりただこの体を通じて体験が起こることに気づくことです。この時自我ありきの感情である「苦しみ」が起きないのでそれだけで真の安らぎを得ることができます。その安らぎの中でも勿論この体の活動は続きますから世間的には失敗成功が続くわけです。ですがこれが真の安らぎの中で起きるというのは重要なところです。その時にビジネスに集中するが起こるかもしれないし全く仕事に関心が向かないかもしれない、、、ということです。

真の安らぎの中で

小学生が遊びで株をやっていたら面白くて大金持ちになってしまった、、、こういうケースは稀にあるわけです。楽しんでやっていただけなのにお金まで得てしまった、、、これは十分にありえるでしょう。ですが悟りが開いた後に、、無料での講演会が楽しくて仕方がないというのもあり得ます。そうなれば真の安らぎの中で世間的には貧しい生活をすることになります。

重要なこと

収入を得ること、地位を得ること、リア充の結婚をすること、、、この先に求めることは真の安らぎなんです。これは絶対に間違いないんです。毎日ハラハラドキドキしたい、、は嘘なんですね!!!なぜならばそれは疲れるんですよ。毎日高級シャンパン飲み倒していても翌朝疲れますから。。その先には間違いなく真の安らぎを求めているんです。それを最初から叶えちゃうのが悟りです。その後にやりたいことはクラスメイト全員違うのです。

大人が子供を可愛がるように

何も知らないは可愛い

子供の質問って可愛いんです、知らないことをそのまま直球で投げてくるわけですが全く予想だにしない質問は可愛らしくあります。そしてそれは真実に触れた際に、、全くそれに気付いていない人々に会った際にも全く同じような感覚を覚えます。なぜ苦しいのか???全くの見当違いを見かけ上している人々(ほぼ全員)に会うのは面白いし可愛らしいのです

一生懸命会社の愚痴を言う人

会社の愚痴が始まると止まらない、、二時間三時間全職員の批評が始まるのです。本人はなぜ止まらないかが分からない。実は「この体の中に自分が居る」という感覚こそが作り出した「本当は誰???」に基づく不快感、憤りが、、会社の愚痴になって表面化しているのです。だらかどんなにこれを話しても、、放れないのです、、違和感が。「私」が話せば話すほどに、、「本当は誰??」が強化されていくのです。なぜ苦しいのか全く分からず見当違いの行動をし続けるって可愛いんです。

悟りの話

悟りの話を外でしてもほぼ99%興味すら持たれないでしょう、、なぜか?????「私」として何十年間も生きてきたのに、、「私」が居ないって話、、、勘弁してほしいのです。今更もう遅いでしょ!!って話です。今だってこの私には母親としての顔、仕事人としての顔、ママ友の中の一人の顔、サッカースクールの役員、、、何個役をやってんだ、、って話です。実は私は居ないって、、、、遅すぎるんです、、タイミングが。

違うんです

遅過ぎるからいいんです、、もう一人の体で何重層もの役をやっているからこそ、、、この重さを手放したいんじゃないですか?????そうです、、手放すには、、重さが必要なんですよ。。。。。アイデンティティのパラダイムシフトは、、一気にドカンがいいんです。そのためには「自分」に疲れている時が最高なんです。この体の中に自分が居るって感覚に疲れ果てた時に、、ドカンがきやすい。

私の完全敗北

私には発見できない

全体を私が発見するのは不可能です、なぜか????私が全体から飛び出た時点でもう全体はそこにはないからです。もしも私が全体を発見すととしたら「私が抜け出た全体」です。それは私が抜け出ちゃっていますから全体ではありません。全体➖私です。私が発見したのは「全体➖私」です。だから私は全体を絶対に絶対に発見できないのです。私が悟るはありえない理由です。

私が完全敗北した時に

もう無理だ、、私には絶対に発見できないぞ!!!この気づきが全体から起こった時に、、私が消え去ります、だって「私には絶対に全体を発見できない」という気づきが全体から起こったのですから。その瞬間「私が全体を発見しよう」は起きないじゃないですか。私が見つけるという動きが起きえないのです。だからいいんです、、、この気づきが全体から起きるまでは徹底的に私が全体を探せばいいんです。

私という自己が起きることができない

私には絶対に絶対に悟りを見つけることはできないんだ、悟りを私が開くのはありえないんだ、、、、この気づきが全体から起きた時、、、、私の探求が起きなくなります。それまでは何度でもこの「私」が発見するんだ!!悟るんだ!!!が起きるでしょう。ですが俯瞰した気づきが起きると、、無理じゃん!!!という気づきが起きます。どう考えても「私」が全体を発見するのは無理だし、「私」が悟るのも無理じゃん!!!です。

全体だった

全体だった、、、という気づきは、、、「私」とは全然関係ないところで起きるんです、、「私」の不在時に起きるんです。「私」の在中は、、、、見えるのは全て「全体➖私」です。私を意識しながら見える全体はそれが限界なんです。だから悟りに「私」が関わっちゃだめなんです。逆に言えば「私」が抜け落ちちゃえば、、全体しかありません。