幻想

目標を達成してもしなくても地獄

不足感を解消してもしなくても地獄

人間は不足感を抱き続ける動物です。人間が私は人間であるという自覚を持った瞬間に不足感が生まれます。全存在、いや存在しかないこの世界に個人という錯覚、幻想を抱いた瞬間に個人以外の他が生まれます。極小の自分の誕生と同時に壮大な他の世界が誕生します。ですがこれは自身に対する無価値観も同時に生み出すのです。それはそうです、見える世界全てからこの体だけが自分に縮小化された存在は息苦しくて仕方ないのです。そしてこの自分と称する存在に浮かび上がる思考は自分では到底コントロールできないという始末、無価値にも関わらずさらに思考する全くコントロールできないという無限地獄に苛まされるのがこの人間ゲーム、自我ゲームの真相です。これで人生最高、幸福、ハッピーしかないと宣っている人間がいたらそれは大嘘つきということになります。

苦しくて当たり前、苦しくないとしたら頭がおかしい

全存在がこの人間という体、思考のみを自分自身と勘違いすることからこの人間ゲームはスタートするわけですから人間のデフォルトは苦痛、不足、欠乏です。苦しいのがデフォルトであって幸福がデフォルトでは決してありません。ですから人間は普通に生きていれば苦しさだけがあります、この事実を先ずは認めなくてはなりません。その上でいかにこの苦しみから解放されるかが唯一の目標、夢になります。なぜ人間はお金持ちと結婚したら、良い会社に就職できたら、良いパートナーに巡り合えたら、、、いつか幸福になれると幻想を抱き続けるのはこの苦しみから逃れる方法があると思い込んでいるからです。ですが実際はそのような不足感を埋めてくれるような対象などあるわけがないのです。なぜならばそもそも対象と苦痛とは何も関係がないからです。

対象と苦痛とは何も関係がないにも関わらず

対象と苦痛が何も関係がないにも関わらず人間はなぜ埋めてくれるだろう対象を探し続けるのか。それはそれにしか希望が持てないからです。目に見える何かしか私の欠乏を埋めることができないと信じるぐらいしか希望がないのです。故に人間は愛人、お金、地位や名誉、安定という対象を求め続ける人生を歩むのです。ではもしもこれらの対象が人間の不足感を埋めることができないとしたらどうしたら良いのでしょうか。そうです、不足感を対象で埋めるのではなく苦しみの根源である自我を追いやるしかありません。行為に没入することで無我の状態に入り徐々に無我の状態にシフトしていく。今ここで無我に入ることで自我を追いやる、これしかありません。夢から覚めた感覚、至福の感覚を今感じることで至福に見つけてもらうことしかありません。無我に入り込むことで無我に見つけてもらうしかないのです。

夢の登場人物全てを支配する存在

あなたが夢を見ているときに登場人物が発する言葉の全てはあなたが決められている

夢とは?自分自身が見る夢の中にはたくさんの登場人物が出てくると思いますがその中での登場人物が発する言葉、行動の全てはあなた自身が決めているはずです。そこには主人公がいて、それにまつわるあらゆる配役の人々がいるはずです。主人公が発する言葉、行動、配役の発する言葉、行動全てをあなた自身が決めやりとりが延々と継続します。そしてあなたが夢から覚めたときにあなたが創造した夢も終わります。

この世もまさにその夢、存在が創造した夢

この世、現実と呼ばれる世界もあなたが毎晩のように見る夢と全く同じ構造でできています。主人公が思考する内容、言葉、行動の全てをあなた自身が決めているように、、、この現実社会でのあなたの行動、発言全てはこの世の創造主が決めているのです、そしてあなたの周囲にいる配役の人々、恋人、友人、同僚、両親、子供の発言、行動の全てを創造主が決めています。ではその創造主とはどこにいるのでしょうか。あなたが毎晩夢を見ているときあなたがその夢の中にはいないように、創造主もこの世にはいません。ですがその夢を見ているあなたこそが夢そのものであるように、この世は創造主そのものでありその創造主が今もまさにこの世(夢)を見ています。あなたを通じて。

あなたが見る夢に正義が不在のように、、この世にも正義は存在しない

あなたが毎晩見る夢に本当の正義は存在するのでしょうか。しないはずです、なぜならば正義とは何かが一方的に正しいという概念であり、そのような概念は夢の中では全くの無意味です。そしてそれはこの世にも全く同じように言えます。この世が存在があなたを通じて見ている夢である以上正義などは存在しないのです。あるとすれば正義と呼ばれる幻想がただあるだけです。

これは情報や知識ではない

知識とは自我がより快適に存続するためのもの

本屋に行けばあらゆる情報、知識がありますがこれらは全て自我が快適に存続していくためのノウハウ本です。就職のための知識、婚活のための知識、お金儲けのための知識、、、全て人間としての存続をより確かなものにするための知識なのです。ところがこのブログでお伝えする内容はその自我こそが錯覚、幻想、嘘だという内容のものです。そしてこの自我が存続するための世界もまた夢の世界という内容です。

より知識を得ていけばより自我が強化されていく

自我とは思考を自分のものと捉えるプラグラムです。知識を得ていけばその知識でもって思考が強化されていきますから自我が強固になっていきます。自我が強固になっていけば自我があるという錯覚も強化されていきますから夢に没入していくことになります。夢に没入すればするほどにジェットコースターも強化されていきますから人生から苦しみは絶えなくなっていくわけです。

情報や知識ではないこのブログは一体何なのか

自我ゲーム、人間ゲームの最大の醍醐味はこの世が夢だったということに気づくことです。この世のアトラクションゲームよりもこの世が幻想、夢だったということに気づくことこそが存在の感動です。存在はこの感動を得るためにこのゲームの夢からいつか覚めるわけです。怖い夢から覚めた時の安心感を人間が体感するように存在もこの夢から覚めて感動します。このブログは人間ゲームに苦しんだ自我が読むことでその奥にある存在が目を覚ますように書いています。

今から悟りに入る

悟りに入るのは今

悟りとは今入るものであって将来入るものではありません。悟りとは今入るのです。多く方はいつか準備ができたら、期が熟したら悟りに入るものと思いますがそうではありません。今しか悟りに入れないのです。そもそも時間とは幻想です、この時間という幻想から抜け出すには今悟りに入るしかないのです。茶道では今ここに集中できるかを問います。要領良く手際良く茶道を極めるといった話を聞いたことがありません、茶道に入り込む、その世界に今この瞬間に入るということが重要になります。

時間と空間というこの幻想、夢の世界から今抜け出す

人間が生きているこの時間と空間の世界は幻想です。そしてそこから抜け出すには自分というこの概念も幻想であるということを見抜く他ありません。ですがそれをどう見抜くのか、それが今に没入することです、今に生きることです、今の行為に無我になることです、今の仕事に無我夢中になることです。無我になれば自我は消えてなくなります、そして無我の感覚、つまりワンネス、大いなる一つの感覚を体感する以外に道はありません。

時間も空間も幻想ならばなぜ存在するのか

なぜこの時間、空間は存在するのか?それは存在の遊びです、リーラです。存在が分離体験を楽しんでいるのです、それ以上もそれ以下もありません。そしてこの分離体験は人間にとっては非常に苦しいのです、ですからこの分離体験から目覚めること。この時間と空間が夢であることに目覚めること、これが苦しみから逃れる唯一の方法になります。そのために人間ができること、それが今に入り込む、行為に没入し無我に入り、無我の感覚、境地に触れる他ないのです。1日にいかに多くこの無我に入り込めるかがこの夢から覚めれるかになります。