宇宙人

夢の中の登場人物

登場人物と見抜けば

この現象界に出てくる人物は全部夢の登場人物です、、そうなると、、この夢の中でこの登場人物がどのように動くのか、どのように話すのかは、、完全に夢全体にかかっています、、これが夢で、、夢とは一切関係なく、、その登場人物が男から女に変わる、、こんなことが起きない、、だから夢なのです、、夢全体がこの登場人物の全言動を支配しているのです。

友人が急に宇宙人にならない

友人に久しぶりに会ったら、、宇宙人になっていた、、このようにならない、、夢の登場人物故に、、全現象が夢に支配されています、、全現象は全体に支配されているからこそ、、これを現実と勘違いしながら生きることができています、夢の中で。

現実っぽいから

この夢は現実っぽいから、、現実だと信じて生きることができます、夢の中で。もしも友人が宇宙人に、宇宙人が人間に、犬が猿に、猿が犬に、、と変化が起きるようならば、、これって夢では???となっちゃいます、、この夢は現実的だからいいのです、、現実的だから長く見ていられる夢なのです。そして夢であることが分かってきますと、、、深刻に見える問題、解決しなくてはならなそうな問題が起き始め、、この夢の中に誘う動きが起きます、、、これらの問題も一切が夢であることを見抜き切った時に覚醒が起きます。

悟りなんて別次元の話でしょ、、、

自我は悟りを宇宙旅行ぐらいの話にしたがる

悟りなんて、、、宇宙旅行や、宇宙人に会った、、ぐらいの話にしたがります、、、、悟りなんて、、、どこまでいっても悟りをマジに話すことにしようとしません、、、この動きこそが自我の常套手段、自我の戦略、、、です。ですが、、、、悟りはあまりに近くに鎮座しています、、、悟りは今もここにあるのです、、、無視できない至近距離に、、、

私が居る、、、という絶対感覚

私という主語は横に置いておいて、、、居るという絶対的な感覚は誰しも持っています、、、この居るという疑いようがない感覚、、これこそがIAM、気づきの意識、大いなる存在です、、、この体のことは忘れることはあっても、居るという絶対感覚が無くなることはありません。この感覚の中に全てが起きているという絶対気づきが起きるのが悟りです、、、、体の中の自分に起きているのではなく、、、、体の外に絶対感覚を持つ存在がいて、、その中で全ての現象が起きています。

悟りのことは横に置いて、、先ずは現実を

自我は悟りを現実問題とは切り離そうとします、、、そうはいっても先ずは現実問題を、、、、です。ですが、、、現実と思っているこの問題こそが幻想なのです、、、この問題こそが、、思考の渦に自分を巻き込み、、偽りの自己を永続させる動きなのです、、、ここを見抜きます、、、ここで思考に巻き込まれないようにします、ここが勝負の分かれ目です。

バシャールはいるのか???

ストーリー上

夢の中ではバシャールという宇宙人はもしかしたら登場するかもしれません、そしてもしも登場してもそれはただの夢というストーリーの中でのキャラです。宇宙人の存在は、、、世界各地で発見されたというニュースはよく出てきます、夢の中で。実際に夢の中で宇宙人が登場するかは分かりません。はっきり言えることはもしも目の前に宇宙人出現してもしれは神羅万象の夢バージョンの現れです、主体はありません。

見抜く

これは夢だ!!!!そう確信したうえでこの夢の中での出来事に一喜一憂するのは逆に難しい、、そうです、、、これは夢です。個別分離した存在があるように見える夢です、、神羅万象には分裂は絶対になく、、だからこそ100%夢なのです。神羅万象は、、、生命そのものです、、、、その生命そのものがあらゆる物、者に七変化しているように見える夢です。

じゃあ、、道端で老人が困っていても

そうです、夢の中での話です、、、本当は個別分離した老人は存在しません、、存在いているように見えるだけ、、、ですが助けるのも自由、助けないのも自由です、、、そしてその判断を行うのも神羅万象、神羅万象から判断が起こるかもしれません、、起きないかもしれない、、、そこに個人という分離した存在が自由意志を発揮するという真実はないのです、夢ですから。

陰謀論について

現象として起きる可能性がある

陰謀論、、、世界には世界を牛耳る裏の存在が居て、、、、とありますが、、、これって真実なのでしょうか????陰謀論というこのアイデアは神羅万象の現れ、現象の現れです、、、これが紛れもなく現れたのです、、、そこは事実です、、、ですがそこに書いていることが現象として現れるかどうかは分かりません、、、現象界で何が起こるかを分かっている誰かはいません、、、これは現象を起こす空すらも分かっていません、、、つまりこの世界で次に何が起こるかを予想できる誰かは居ないのです。

宇宙人も、、、

宇宙人の存在は????これも現象として現れる可能性はあります、、、ですが私の目の前に現れていない限り、、そのままです、、、情報としては現れるかもしれません、、、、目の前に現れるかもしれません、、全ては現象ですからそこにはルールは皆無、先のことは誰にも分かりません、、、重要なことは、、、、そのことと至福にることとは全く関係ないということです、、、、どのような現象が起こっても、、、それが現象に過ぎないことを見抜く以外に価値はないのです。

宇宙人のメッセージには興味ある???

宇宙人のメッセージが人類に役に立つかもしれないじゃないですか????それも現象としてあるかもしれません、、ですがその現象(宇宙人のメッセージ)は現象であって、、、、それを見抜いた上でそのメッセージを楽しむのは何も問題ないでしょう、、、ところがそのメッセージが事実であるという思い込みは注意しなくてはなりません、、、

ポケモンカードに一億円の値段が付く世界

全てが幻想である理由

ポケモンのレアカードには一億円の値段がつきます。ポケモンカードは紙でできていてその上にカラープリントがされているだけです。この模様が違うことをマニアは多様なカードが存在していると言います。その中のごく一部の模様に対してそれは数が少ないから価値があると思います。これによって一億円の値段がある模様に付けられました。宇宙人から見たら模様が異なるだけ、、ですが人間にとってはその模様には一億円の価値があるとううことになります。

我々は勝手に作り上げた価値観の中で喜怒哀楽を勝手に作り上げ生活している

人間の価値観とは全部ポケモンレアカードです。さつまいもは100円でレアカードは1億円です。これが人間の価値観なのです、その価値観の中で喜怒哀楽が湧き上がりサツマイモを手に入れても嬉しさはなくレアカードを目の前にすると卒倒するほどに喜びます。ポケモンは実在せず人間のアイデアです、これは空想です、この空想に一億円の価値がつくのです。一億円の価値があるというのも思考です。なんとなく分かってきたと思いますが我々は幻想の中にどっぷりと浸かって生きているのです。

現実が厳しいのではない、幻想が厳しいのだ

レアカードに一億円の価値があるという思考が湧き上がり、100年ローンで買う価値があるという思考が湧き上がり、それまらば寝ないでも働こうが湧き上がり、、本当に4時間睡眠で働き続けるが湧き上がる、、、これがこの世を苦しくしているメカニズムです。全部思考の策略です。思考が悪いのではありません、思考というプログラムの中に生きていると苦しくなりますという話です。

PCの機能は全部プログラム言語で成り立つ

言語は言語ではない

人間は日常生活で使う言葉を無意識に使います、言語とは仕事やプライベートを円滑に進める道具だと思っています。ですが実際にはそんなモノではありません。言語とはこの世界を構築しているのです、この世界は実はあなたが使っている言語でできています、意味不明ですね。なぜならば、、、もしもあなたが言語を何も知らなかった場合、、、、全くの別世界に住んでいるからです。そんなはずはない、、、同じ人間が見る世界が、、異なるはずはない、、そう思っていますよね、、全然違うのです。実は我々はたった一つのエネルギーを言葉によってモノ化、者化しそれを見ているのです。例えば宇宙人が地球に降り立ち人間を見れば眼鏡は体から特出しているように見え、洋服は体の模様として移ります。そしてスマホは完全に体の一部、、、全く分離していないのです。靴を脱げば、、、足が取れたと驚くはずです。

価値観は、、、

それらの言語、そして自分としての積み重ねが、、、価値観として形成されるわけですが、、、これらは我々が世界を見る際に大きく影響します。例えばBMWを買いたいと思っていると街中にBMWが溢れてきます、ミニクーパーを買いたいと思うと街にミニクーパーが溢れます。ナイキの靴が欲しいと思うとナイキの靴が街で溢れます、、、つまり人間とは意識したモノしか視界には入っていないのです。価値観とはそのままその人の世界なのです。何に注目するかで視界に入る情報が全く変わってしまうのです。言語、そして言語で成り立つ価値観は、PCのプログラム言語と全く同じでPC内の環境を全く違うモノにします。

最後は言語を超える

悟りとはこの言語を超えた場所になります。言語は単純にこの大いなる一つ、まっさらなPC環境を独自の世界に変える力です。言語には半端ない力がありますがその言語を超えた場所こそが悟りです。見ている世界、構築されたシステムが言語、プログラミング言語で設計されていることを見抜くことが重要です。どの言語を選ぶか、どの言語で新しいシステムを構築するかに意識が向かっている間は人生ゲームのデザインに興味があるということです。これは悟りの本質ではありません。

悟った人はいないの真相

悟った登場人物はいる

これは夢です、夢ですからどんな登場人物も登場できます。天使も、宇宙人も、何でもです。そこに悟った人というのも登場します。例えば現代であればトニーパーソンズ、アジャシャンティー、プンジャジ、大和田菜穂、雲黒斎さんなんかでしょう。夢の登場人物としては悟った人は当然現れます。ですがこれは夢ですから人間風の登場人物ということだけ、人間という確立した風の登場人物が現れる、ただそれだけです。

悟っていない登場人物もいる

悟ったと言い張って実は悟っていない風の登場人物もいます。怪しいインチキ系の宗教団体のグルのように。ですがこれもただの登場人物ですから実際はいません。居るように限りなく見えますが実際はいません。夢の中の登場人物としては居るように確実に見えます。成功者も、芸能人も、著名人も、詐欺師も登場人物としては確実に登場してきますがですがそれも夢では居るが実際は居るように見えるだけです。夢ですから。

空中浮揚するヒマラヤ聖者

空中浮遊するようなヒマラヤ聖者もこの夢の中では出てくるかもしれません。もしもあなたがそれらの書籍を読んで興味を持ち、実際にヒマラヤに行けばそのような聖者が今でも居るのかもしれません。ですがこれは夢ですから例え居るように見えてかつ触っても触覚があり、実際に確実に空中浮遊しているかもしれません。あなたの前で。しかしそれも夢です。夢の中で確実に居るように見える、触れるだけです。そのような聖者から多くのことを教わることも良いでしょう、興味がもてれば。そしてあなたがその師匠の教えにより空中浮遊できるようになるかもしれません。ですがそれも夢の中での事実です。ワンネスがあなたを通じて見続ける夢でしかありません。

これは夢だから宇宙人の侵略すら起きえる

この夢の第一の目的はこの夢に夢中にさせること

ワンネスが作ったこの夢の目的はこの夢から覚めさせないことにあります。ドップリ苦しんで、しんどい思いを沢山経験しワンネスがワンネスでは経験できないことをフルパックツアーで経験してもらうことにあります。歓喜、平和、安堵そのものであるワンネスが苦しみ、悲しみ、孤独、虚無感を感じることができません。そのためこの夢を創造し、小さな自分を誕生させることでこの喜劇、悲劇を創造しました。だからこそこの夢の途中段階では宇宙人、浮遊霊、アセンデッドマスター、仙人などを登場させて飽きさせない工夫が拡散されています。

観念書き換えはこの夢のシナリオ書き換えでもある

観念の書き換えが起こりますとこの世には天使がいて、イルミナティーがいて、宇宙人がいるという現実を作り出すことができます、人間の思考を書き換えていきますとそれはこの夢のシナリオを書き換えていくことができるのです。この夢に新たな登場人物を登場させることもできるのです。自身が信じたことが起きるというのは観念書き換えによる夢ストーリーのシナリオ書き換えです。

観念を書き換えても至福には至らない

観念書き換え方法は本屋さんに行けばいくらでも書籍があります。成功哲学、自己啓発本などなど、、腹落ちするまで思考、観念を書き換えていきますとハッピードリームを見ることができるようになっていきます。ですがここで一番重要なのはこのドリームで何を達成しようと、どんな幸福を手に入れようと、どんな夢を叶えようと、、不足感を埋めることはできないということです。それは自身がこの人間であるということ、主人公であると信じることで不足感、欠乏感、孤独感が湧き続けるからです。

これは夢だから戦争も起きるしコロナも蔓延する

夢である以上何でも起きる

これは大いなる一つが見る夢です。夢ですから何でも起きます、戦争も起きればコロナも起きます。宇宙人が出現したり、サイババの手から灰を出します。空中浮遊する人間が現れれば透視能力家も現れるでしょう。なにせ夢ですから。誠実俳優の不倫も、犯罪者の人助けも、、何でも起きるのが夢です。

夢である以上ハッピーとアンハッピーは交互に起きる

最初から最後までハッピーな映画を観るほど退屈なことはありません。恐らく全く人気が出ない映画でしょう。人気映画は主人公が悲劇にあい、そこから立ち上がり、ハッピーを手に入れる、、そこから友人に裏切られ奈落の底に、そこでまさかのビジネスを発見し再起を図る、、こんな感じでしょうか。夢ですから単調=退屈で耐え難いのです。なにせ大いなる一つが見ている夢ですから大いなる一つが退屈になったら即内容を書き換えるでしょう。そこに主人公(あなた)の意思など全く関係はありません。映画の主人公のが配役や内容に口出しできないのと同じです。

トムクルーズ は映画の内容に関与するが、、

ハリウッド映画ではトムクルーズはガンガン監督に意見を言い内容を書き換えていきますがこの映画、夢ではどうなのでしょうか。残念ながらこの映画は大いなる一つが監督し、大いなる一つが主人公の映画です。最初から監督、主人公が一致しています。監督と主役の言い合い、ディベート、討論はないのです。監督・大いなる一つ、主役・大いなる一つです。映画は毎秒ごとに書き換えられていくので誰もこの先は読めません。これを映画、夢と腹落ちさせるしかこの映画、夢に翻弄され続ける人生が続きます。最終的には夢から覚める以外に平和、安堵、歓喜はこないのです。