観念

そんなんじゃない

個人の成長、霊格を高める????

全員を救ってあげなくては、、世界中の迷える人々に光を!!!!!!そんなんじゃないんです、、そう思えるはずがないのです、、、真実に気づいてしまうと、、、、そんな情熱が起こるわけがない、、、、誰もいない、、、という気づきが起きた後に、、、、全員を救わなくては!!!!はおかしい、、、完璧な生命現象が完璧な形で起きているのが分かるので、、、、何も問題がないのです。問題が起きようがないのです、、個人が居ないんですから。

個人が居なくてどうやって会話を?????

個人が居ないのにどうやって会話をするんですか?????不可能です、、、個人との会話は不可能です、、、ですが、、会話はできます、、、いとも簡単に、、、簡単すぎるほどに簡単にできます、、、、個人との会話は絶対にできません。会話を楽しむことはできます、、ですが個人と会話を楽しむことはできません。仕事もそうです、、仕事は簡単にできます、、、ですが個人と仕事はできません。。。

講演会は????

1万人を前に講演会をすることはできません、、ですが、、、1万人というイメージの前で講演会をするのは簡単です、、、講演会をする「私」は居ませんが。。。。講演会は簡単にできます。食事をすることは簡単にできます、、ですがもう個人が食事をすることはできません、、、その観念が抜け落ちるからです、、、個人が食事をするというのはイメージです、偽りです、虚像です、、、ですがそのイメージは完璧です、真実ではありませんが。

個人を手放す

手放すというよりも、、、

手放す、サレンダー、解放、、、あらゆる言葉がありますが、、、どうしても悟りの言葉というのは、、個人が何かをすることをイメージさせます、、、個人が強烈に匂います、、、これは至極当然のこと。。。。ですがこの認識のまま悟りを学んでも、、入りにくい。。。どうしても個人の観点から本を読んでしまうからです。どちらかと言えば、、、一回個人という観念を外して完全なるフラットな視点で読めば理解できるかもしれません。

誰目線???

この世界は、、、個人という絶対的存在が間違いなく居るという前提で全てが構築されていますから、、、それがない、、、、なんて言われてしまっても拒絶に次ぐ拒絶です、、それで終わり。個人が居るという観念が、、全思考、全感情、全行動を起こしてこの個人を守っていますから、、、拒絶が半端がないのです。ですがそれは至極当然のこと、、、それも完璧です。

やられた!!!!

最初の気づきはこんな感じです、、、、確かに個人はいない、、、相手もいない、、、誰もいない、、、やられた!!!!!騙されてた、、、、まあしょうがないか、、、ですね。。。こんな流れです、、、気づきとは。。覚醒という大袈裟な言葉に違和感も感じながらもとはいえ、、この気づきは、、、人生の中ではトップクラスの気づきです。それは間違いない。

個人はただのラベル

全ては全自動で起きている

我々はあまりにも長い期間、、個人が「何かをする」「何かを思う」「何かを信じる」という原理で物事が動いていると信じ込んでしまったのでこの観念が崩れません、、、これが現実であると完全に信じています。するとその観念が反映した世界が人がありますから、、益々その観念が映し出す世界が本物だ!!という経験をしていくことになります。。本当はこれは観念で、、真実、現実とは異なりますから、、この観念の中に閉じ込められている限りは苦しみが続きます、、、なぜならばこれは事実ではないからです。

言葉では分かる

言葉では分かるんですが、、、、、そうなんです、言葉では分かっても、、、、あまりにも長い期間、、個人を中心に物事を構築するのに慣れてしまったので、、、観念を書き換えることができません、、というよりも観念を捨てることができない。これは至極当然のことで、、この個人を守るために言動が構築されてきたのですから、、、簡単に理解できてしまったら危ないのです。

信じる者は救われない

個人が居るという観念を信じる者は救われません、、真実の世界の中で嘘の信念で生きていけば苦しいに決まっています。真実の世界の中で偽りの観念に沿った物語を構築しても、、苦しいが湧くだけです。ただこれを終わらせるだけ、、、ただこの間違いに気づくだけ、、、悟りとは非常に簡単なことです、、ですがシンプルだからこそ、、シンプル過ぎるからこそ、、、拒絶も大きいのかもしれません。

自動反応マシーン=自我

実は、、、

今回のメッセージは多くの人に嫌われるメッセージです、、、実は私とは何も思考せず、行動せず、感情も出していなかった、、、、実は記憶から勝手に反応が起きていただけだった、、、だからこれからも「私」は何も決めれず、、、ただ自動反応が起きる場所の名前でしかない。、、、これが真実です。この事実をしっかりと認識し、、自身の言動を確認してください。

本当だ、、、

このメッセージを読んだら本当にそうかを確認してください、、、恐ろしい実態がわかります、、、本当に自動反応がただ起き続けているのが分かります、、、記憶をベースにした価値観、観念による自動反応しか起きていません、、、とんでもない事実です、、、私は何もやっていなかった、、、やっていたことにされていた、、、これからは「私は、、、、をします」は言えない、、、なぜならば事実とは異なるから。。。。

真実を知る勇気があるか????

〇〇という自動反応が「私」を通じて起こった、、、これが真実の説明です、、、真実の説明のみをしていきます、、、〇〇という自動反応が今回「私」を通じて起きました、、、これです。。。。「私」の意味が変わっていきます、、、「私」はただの名前に変わります、、、、本当に名前だけだった、、、、残念!!!!

何十年間の記憶が反応しているだけ

思考、感情、行動は記憶が反射している

我々はしっかりと熟慮して発言をしていると思っている時も、、完全に記憶の自動反応で反応を起こしているだけです、、、なぜあんな発言をしてしまったのだろうか????違います、、全部何十年間の記憶により自動反応です。そしてこの自動反応に対し、、、「私がそう発言した」という自動反応が起きるのです。このメカニズムを断ち切ります、、これを終わらせます、、、、全部が全部記憶による自動反応であることを理解します。

行動を反省する無駄

反省をしてはいけないということではありません、、、ただしこのメカニズムを理解して反省するかどうかです、、、何十年間の記憶によって自動反応が起きているという大前提で、、はたして反省はできるのでしょうか???できませんね、、、ここを騙されてはいけません、、、これを全部自分がやってきた、、という思考がこれまでは起き続けていましたが、、もうそれは終わりです。この生きる世界に、、自由意志を起こせる存在は居ないのです。

全部が全部自動反応

人間の動きは全部全部記憶を前提にした観念がベースに行われています、、誰一人自由意志など発揮せず、、ただ全ての思考、感情、行動が立ち上がっていきます。この事実この事実を理解します、、すると、、、起きた思考、感情、行動に対して、、、、起こる自動反応が変わるのです、、、反省が先ずは無くなります、、不安がなくなります、、、自動反応マシーンである、、、この私への信念が変わっていきます。私とは「自動反応」を起こすマシーンに名前が付いているだけだという突然の気づきが起きます。

信じると体験できる

信じてはダメですよ、、の嘘

悟りとは感じるものですから、、、知識をかき集めても無駄です、、、、そんな言葉を使うメッセンジャーは多くいます、、、、ですが我々はこの観念の世界において悟りという言葉を知らずして悟るのは難しい、、、なぜならば全く概念がないことを体験できない、、、、勿論それが起きた人(イメージ)はこの夢の中で起こるのですが、、、マジックの種明かし情報を得ずして、、、マジックを見破るのはほぼ無理でしょう、、たまたま、、事故的にマジックを見破る人(イメージ)もいますが、、、

種明かしの情報

種明かしのメッセージを聞き、、、なるほど!!!!が起きた時には、、、ほぼ完成なんです、、なぜならば、、、あとはこの夢の中で「なるほど!!!」が起きればいい、、、、聞いて、、、なるほど!!!が起きれば、、、体験で、、、なるほど!!!は起きやすい、、、マジックを見破るのは常にこれです、、、、

信じていい

悟りのメッセージは、、とにかく一度信じる事、、、マジックってなるほど、、そういう仕掛けか!!!の後にじっくりとこの現実(夢)を観察します、、、、そして見破るまでは手を抜かない、、、見破るまでやる!!!と覚悟を決めます、、、、完全なる体感が起きるまで、、、やります。

これは「私」には見えない

「私」が居ると見えなくなる

本当の世界、真実の世界は「私」が居ると見えなくなります、、、、この「私」という存在体の中の存在を信じていると見えなくなるのです。真実を見ることができないのではなく、、「私」が居ることで、、そこに私の観念が反映した世界がベールとして広がり真実を隠すのです。色眼鏡がかかった景色に急変化します。

「私」という存在を嘘と見破る

私という存在を嘘と見破ることができますと、、、景色を景色のままで感じるが起きます、、、、それを見る私が消えます、、景色が景色のままにそこに在るのです、、、そしてこの体も景色に変わります、、、この体を含めた景色を景色が感じます。。。

悟りのメッセージを使い倒す

悟りのメッセージは個人の嘘を暴く内容です、、、個人という存在の嘘を徹底的に暴いていきます。これを個人は嫌います、、個人が嫌うというのも嘘で、、嫌うという感情が勝手に湧きます、、、個人が居ると言うストーリーをイメージしていると、、ですから悟りとは個人の存在を追い詰めることなのです、、個人をこの世界からはぎ取る、、個人をこの世界から抹殺する行為です。

売れている悟り本の問題点

売れているということは、、、

売れている悟り本には問題点があります、、、それは自我が好きな本であるということです、、自我が拒絶する内容になっていないということです、、、最も大きなポイントは、、自由意志があるというアプローチです。観念の解説や、この世の成り立ち、たった一つが織りなす世界であることは解説できているのですが、、最後の最後で自由意志があるという完結になれば最後は全部自我がもっていきます。この私が、、悟った、、、になります。そして大きな勘違いをしながら生きていくことになるのです。

特別な存在「私」だけを残す

特別な存在「私」だけが最後に残ります、、、全部が分かってしまった「私」全部を掌握した「私」となります。有名な書籍には有名になる理由があって、、それこそが自我が好きなストーリー展開になっている可能性が高いのです。。勿論、それを意図的にやっている場合もありますから、、、、その場合は問題がありません。新しい知識が入ればそれを試そうとする「自分」が登場し、、最後の功績もこの「自分」が成し遂げたということに陥るのです。

本来は孤独ではありえない

この世界全部が私だから

今孤独だとすれば、、、それは個の視点で生きているからです、、、この体の中に主人公が居るという視点で生きている時、、、孤独感が湧いてきます、、、、本当は、、、この世界こそが自分であり、、全部が自分ならば孤独感は湧いてきません。。。。全部が自分、、、見える世界に起こる生命現象の全てです。いやいや、、この体の中は自分の思うように動くけど、、、他は全くコントロールが利かないし、、全然自分じゃないですよね、、、違います、、、この体の中の全思考、行動、感情も全くコントロールが効いていないのです本当は。コントロールしているという勘違いが起きているのです。つまりは全部がコントロールが効いていない。

理解が進むと、経験が起きる

この事実が理解できてきますと、、徐々に経験が増えていきます、、この事実を証明するかのような経験が起こり始めます。本当にその事実が起き始めるのです、、、思考、感情、行動は勿論起こりますが、、その起こりが自分では起こしていないという経験が起き始めます。だからこそ先ずはこれを理解する必要があるのです、経験を起こすために理解が必要になります。

経験が起これば気づきが起こる

この世界は理解したことを経験でき、経験することで感情が湧きその感情に気づくことで、、確信に変わっていきます。つまり新しい観念が完成していくのです。ですから先ずは学ぶというプロセスが必要になります。学ばなければそれを経験できないのです。経験できなければそれは確信に繋がらない、、つまり同じ観念の世界を生き続けることになります。学びが新しい経験を作り、経験が気づきを起こし、気づきは完了です。気づきとは、、完全に疑いが晴れた状態です。

ありのままなどまるで見てなかった

子供と大人はまるで違う世界を見ている

自我が形成されていない子供はありのままの世界を見ています、、ですが自我が形成された大人は自身の観念の世界を見ています、、、いやしっかりと現実を見ていますよ、、、違うんです、、大人は目に入る全ての物事、人物に意味を重ね合わせてみているのです、、見た瞬間そこに意味が入ってしまっているのです。例えば商売が大好きな人は、、人がお金に見えると表現します、、これは本当なんです。人に意味が込められています、、勝手に。

ありのままではなく、、そこに重ねられた意味を見ている

100年の歴史のあるブランド品、、、見た瞬間にカッコいいが勝手に湧いてしまいます。。。有名人に会った、、、、勝手に驚きの感情が湧きます、、、これは自動反応です。。。ですから我々は本当にありのままなど見ていないのです。。。その現象物に込められた意味を見ています。それの何が問題なのか???苦しいのです、、意味のある世界に住んでいるのがフラットに苦しいのです。

超大人の視点

子供と大人は視点が異なります、、、大人はこの私がこの世界を見て生きていると信じています。。。そこをさらに視点を変えます、、、本当はこの体には「私」は住んでおらず(実際そう)全現象は空(ゼロ)からそのまま起こっている、、と。PCのモニターのように、、そのままそこっで起こっているのだという認識に変えます、、この世界を見ている私は100%存在せず、、、そのまま起きたのだと、、、、誰がこれを見ている????誰もいない、、、あえて言葉(概念)で表現するならば、、神が見た世界なのだと。。。

こっちが事実

残念ながらこの視点が事実です、、、先ずはこの世界があって、、その中に、、、「私」がイメージとして想像され、、、この体(イメージ)の中の私が見ているというイメージが起きたのです、、、、この「私」視点の世界での経験を強制終了させます、、、すると認識が変わり観念が変わり、世界が変わり始めます。ありのままの世界、、子供が見る世界が戻ってきます。